ドイツ留学と博士号取得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:54 UTC 版)
「村岡範為馳」の記事における「ドイツ留学と博士号取得」の解説
1878年(明治11年)4月29日付で、欧米の師範学校の調査のためドイツのアルザス地域圏(当時)にあるシュトラスブルク大学に派遣された。また、渡欧していた文部大書記官・九鬼隆一の手伝いも命じられている。シュトラスブルク大学で所属した研究室では音響学者のアウグスト・クントが教授を務め、助教授は後にX線の発見でノーベル物理学賞を受賞するヴィルヘルム・レントゲンであった。 大学ではホイートストンブリッジ法を用いて炭素材料における電気抵抗の温度依存性を調べ、この際に熱電効果の観察も行っている。1880年(明治13年)に成果を『アナーレン・デア・フィジーク』誌にドイツ語の学術論文として投稿した。翌年の6月号に掲載され、これが初めて学術雑誌に掲載された日本人の論文となった。1881年(明治14年)に日本人で初となる海外の博士号を取得し、同年4月5日に卒業、5月28日に帰国した。
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