トレンスシステムの創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/30 14:11 UTC 版)
「トレンスシステム」の記事における「トレンスシステムの創設」の解説
土地投機ブームと不備の多い土地所有権制度により、南オーストラリア植民地(現在の南オーストラリア州)によって与えられた4万件の土地所有権のうち75%が失われた後、ロバート・トレンスはコモンローおよび権原証書登記制度の欠陥を解決するため、新しい土地所有権制度を1858年に導入した。これは、南オーストラリアの法域に含まれるすべての土地を管理する中央の登記所の関与する制度であり、1886年不動産法に含まれる。すべての土地取引は登記官により登記される。さらに、登記の効果として土地の所有者が確定するという点が重要である。トレンスシステムは地役権、抵当権の設定および消滅をも登記する。 トレンスシステムの起源には諸説ある。トレンス自身、自らの提案は過去の登記制度、とりわけ英国における商船の登記制度を採用したものだと認めている。James E. Hoggは、Australian Torrens System with Statutes(1905年)において、トレンスが他のさまざまな制度に基づいてこのシステムを考案し、また南オーストラリアの何人かの助力を受けたことを示した。Stanley RobinsonはTransfer of Land in Victoria(1979年)で、1850年代に南オーストラリアに居住していたドイツ人弁護士であるUlrich Hübbeがハンブルクのハンザ同盟の登記制度の原理を用いることによりトレンスシステムにもっとも大きな貢献をしたと論じている。 しかし、新システムが南オーストラリア州および他のオーストラリアの植民地で受け入れられたことにトレンスの政治的活動が大きく寄与したことは否定できない。トレンスは反対者たち(多くは、土地取引に関する仕事を失うことを恐れた弁護士だった)による悪意のある攻撃に立ち向かい新システムの導入を指揮した。トレンスシステムは、不動産に関する判例法からの著しい離脱を意味し、コモンロー裁判官たちの抵抗を受けながらさらに発展していった。
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