トランシルヴァニア侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 07:28 UTC 版)
「ルーマニア戦線」の記事における「トランシルヴァニア侵攻」の解説
「トランシルヴァニアの戦い」、「トゥトラカンの戦い」、および「フラマンダ攻勢(英語版)ドブリチの戦い(英語版)」を参照 8月27日の夜、ルーマニア軍の3個軍(第1軍、第2軍、北方軍)はカルパティア山脈を通っての遠征計画「仮説ゼータ(ルーマニア語版)」を実行に移し、トランシルヴァニアへ侵攻した。攻撃はロシア軍と向かい合うオーストリア=ハンガリー軍へと向けられる形になっていた。ルーマニア軍は幾つかの脆弱な部隊を退けてカルパティア山脈を越え、最初の目標であったシビウ市と周辺都市を占領した。ルーマニア軍はシビウで多数を占めるルーマニア系住民から歓待を受けたと伝えられ、民族意識を満足させた。 しかしそれはオーストリア軍が4個師団の増援を派遣するまでの事であり、3個軍からなるルーマニア軍はオーストリア第1軍の防衛線を突破できず、9月に早くも攻勢は頓挫した。ルーマニア軍の苦戦を見てロシア軍は3個師団を前線から引き抜いて派遣したが、補給事情から直ぐにトランシルヴァニアへ向かう事はできなかった。ルーマニア軍が衝動的な攻撃を続ける中、反撃はアウグスト・フォン・マッケンゼン将軍の多国籍軍によって開始された。多国籍軍はドブルジャに駐留するブルガリア軍2個師団を中核にしつつ、ドイツ軍1個旅団とオスマン軍1個軍団がこれを支えていた。
※この「トランシルヴァニア侵攻」の解説は、「ルーマニア戦線」の解説の一部です。
「トランシルヴァニア侵攻」を含む「ルーマニア戦線」の記事については、「ルーマニア戦線」の概要を参照ください。
- トランシルヴァニア侵攻のページへのリンク