トランシルヴァニアおよびバナートの統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:21 UTC 版)
「大ルーマニア」の記事における「トランシルヴァニアおよびバナートの統合」の解説
残された最後の未回収の領域であったトランシルバニアは、1918年12月にアルバ・ユリアのルーマニア系議員による「統合宣言」によりルーマニアに加わり、1か月後には同市のサクソン系議員による投票でも支持された。トランシルバニアで人口のおよそ32%を占めるハンガリー語話者の住民(ハンガリー人に加えて多くのハンガリー語話者のユダヤ人コミュニティを含む)、およびバナト(バーナート)のドイツ系住民は、自分たちを代表する政府はハンガリーのブダペストの政府であるという認識を持ち、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊時に自民族の議員を選出しなかった。
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