トランシルヴァニアからの退却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 07:28 UTC 版)
「ルーマニア戦線」の記事における「トランシルヴァニアからの退却」の解説
ブルガリア国境で戦闘が行われる中、9月18日時点でトランシルヴァニアの同盟軍はドイツ第9軍司令官のエーリッヒ・フォン・ファルケンハイン元参謀総長の指揮下に置かれていた。トランシルヴァニアでの同盟軍の反撃は、ハツェグ(英語版)を占領するルーマニア第1軍に行われ、ルーマニア軍の前進を停止させた。8日後にドイツ軍の2個山岳師団がシビウ近郊で占領を終えつつあったルーマニア軍部隊を撃退し、ルーマニア軍は山岳地帯へと敗走した。対するルーマニア軍も10月4日に第2軍をブラショヴを守るオーストリア=ハンガリー軍に差し向けた。しかし攻撃は失敗に終わり、そればかりかルーマニア第2軍が更に後退する結果を生んだ。二つの敗北の後、ルーマニア第4軍は10月25日に敵と戦わずに大きく後方へと退却し、ほぼ開戦前のラインへと戻っていった。 ファルケンハイン将軍はトランシルヴァニアから退いたルーマニア軍を追って、相手の防衛線を丹念に調べた上で攻撃に移った。数週間後に彼はバルカ山への攻撃の為にアルペン師団を投入する事を決め、攻撃は11月10日に開始された。ルーマニア兵を打ち破ったアルペン部隊の将校の一人はエルヴィン・ロンメルも含まれていた。11月11日に当時中尉であったロンメルはレスクルイ山の占領において、ヴュルテンベルク山岳大隊を率いて参加した。攻撃は11月26日までに山岳地帯に篭っていたルーマニア軍をたちまち後方の平原地帯に押し遣ってしまった。同盟軍の追撃でルーマニア軍は崩壊寸前にあったが、山岳地帯に大雪が積もった事で同盟軍も一旦進撃を停止せざるを得なかった。
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