デルタ航空からアメリカン航空へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:09 UTC 版)
「スー・ゲートウェイ空港」の記事における「デルタ航空からアメリカン航空へ」の解説
ターミナルビルは築50年を超えたことから、2008年から3年かけて空港の大規模改装が行われた。ボーディング・ブリッジのうち旧式化していたものが更新された。改築費用として6,200万ドルを要し、そのうちの78パーセントをアメリカ連邦政府とアイオワ州政府が負担した。加えて、ボーディング・ブリッジの更新費用397万ドルを連邦航空局が助成した。最終的なスーシティの負担額は140万ドルだったが、それでもシロアリや排水に関する傷みが大きく、当初予定の2倍の負担となった。 2007年10月には、フロンティア航空がスー・ゲートウェイ空港とデンバーを結ぶ路線を開設した。しかし間もなく同社は連邦倒産法第11章を申請したことに伴い複数の路線が休止され、2008年5月にスーシティからも撤退した。 2008年4月にはノースウエスト航空とデルタ航空が合併し、ノースウエスト航空のスーシティ路線はデルタ航空に継承された。この頃、デルタ航空は同社のハブ空港であるミネアポリス・セントポール国際空港とスー・ゲートウェイ空港を結ぶ路線を運航していた。 2011年に、スー・ゲートウェイ空港への就航会社に対する助成金の公募が行われた。デルタ航空のほかアメリカン航空がこの助成金に応募した。アメリカン航空はシカゴ・オヘア国際空港への就航を提案したのに加え、将来さらに別のハブ空港への就航に前向きな提案を行なった。一方、デルタ航空はミネアポリスへの路線維持を提案し、新たな空港への就航には消極的だった。スーシティの航空利用客は、ビジネス・観光ともにシカゴ便の就航を望んでいた。スー・ゲートウェイ空港の評議委員会は、アメリカン航空の提案を採択し、連邦政府からの補助金が同社に提供されることになった。2012年4月、アメリカン航空のリージョナル部門であるアメリカン・イーグルがスーシティ - シカゴ線を開設させた。デルタ航空は、燃料費の高騰にともない路線維持が困難という理由で、同月スー・ゲートウェイ空港から撤退した。 2014年6月にはフロンティア航空がスーシティへ再就航したものの半年たたずで撤退した。2015年には乗り入れ再開の予定はないと述べている。 2016年5月、アメリカン航空は同社のハブ空港であるダラス・フォートワース国際空港とスー・ゲートウェイ空港を結ぶ路線を新設した。これまでオマハの空港を利用していたビジネス客には、スー・ゲートウェイ空港の利用に切り替える人も見られた。
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