デイトナ・スパイダーの誕生とは? わかりやすく解説

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デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:06 UTC 版)

マイアミ・バイスのフェラーリ」の記事における「デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生」の解説

ソニー・クロケットのデイトナ・スパイダーは起業家アルバート・マルディキアンによって誕生した。彼は30代の頃から「トレンドインポート」という独自の輸入車ディーラー網築きスーパーカー高級車販売始めたほか、クラシックカーのレプリカキットやスーパーカーカスタムカー製作などでも成功し自動車業界では名の知れた人物だった。中でもフェラーリ400リムジンカウンタックSSLP400タルガトップ)は奇をてらうだけでなく完成度の高さ評価された。 あるときシボレー・コルベットC3を利用してACコブラ作れないかと協力業者のマクバーニーコーチクラフトのオーナー、トム・マクバーニーに相談をしたのだが、ACコブラホイールベース20センチ以上短くボディサイズ違いすぎるから無理だと言われた。一度諦めかけたがそこで目を付けたのが自社ショールーム展示していたフェラーリ365GTS/4、米国での通称デイトナ・スパイダーだった。ボディサイズはほぼ同じでホイールベースの差はコルベットより8センチ短い程度である。そのフェラーリ365GTS/4はFRPボディ成形型作るためマクバーニーの工場運び込まれた。 1年後1982年試作1号車完成続けてマルディキアン発注とマクバーニーが兄から個人的に頼まれた1台の計5台を製作した。「マルディキアン350GTSターボ」というオリジナル商品として販売する計画だったが、この頃マルディキアンには輸入車排気ガス衝突安全性の報告書偽造した疑いかけられており6〜7台が作られただけで計画頓挫した。マクバーニーが持っていた成形型はマルディキアンに返却されることはなかった。 原形となった1973年型365GTS/4は型を取るために一度分解されているが、マルディキアンのものではなく顧客所有物だったという。1988年オークション出品されサンディエゴ近郊ラホヤスポーツカー専門店落札した記録残っている。

※この「デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生」の解説は、「マイアミ・バイスのフェラーリ」の解説の一部です。
「デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生」を含む「マイアミ・バイスのフェラーリ」の記事については、「マイアミ・バイスのフェラーリ」の概要を参照ください。

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