デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生
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「マイアミ・バイスのフェラーリ」の記事における「デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生」の解説
ソニー・クロケットのデイトナ・スパイダーは起業家アルバート・マルディキアンによって誕生した。彼は30代の頃から「トレンドインポート」という独自の輸入車ディーラー網を築きスーパーカーや高級車の販売を始めたほか、クラシックカーのレプリカキットやスーパーカーのカスタムカー製作などでも成功し自動車業界では名の知れた人物だった。中でもフェラーリ400リムジン、カウンタックSS(LP400タルガトップ)は奇をてらうだけでなく完成度の高さも評価された。 あるときシボレー・コルベットC3を利用してACコブラを作れないかと協力業者のマクバーニーコーチクラフトのオーナー、トム・マクバーニーに相談をしたのだが、ACコブラのホイールベースは20センチ以上短くボディサイズも違いすぎるから無理だと言われた。一度は諦めかけたがそこで目を付けたのが自社のショールームに展示していたフェラーリ365GTS/4、米国での通称デイトナ・スパイダーだった。ボディサイズはほぼ同じでホイールベースの差はコルベットより8センチ短い程度である。そのフェラーリ365GTS/4はFRPボディの成形型を作るためマクバーニーの工場に運び込まれた。 1年後の1982年、試作の1号車を完成。続けてマルディキアン発注とマクバーニーが兄から個人的に頼まれた1台の計5台を製作した。「マルディキアン350GTSターボ」というオリジナル商品として販売する計画だったが、この頃マルディキアンには輸入車の排気ガスや衝突安全性の報告書を偽造した疑いがかけられており6〜7台が作られただけで計画は頓挫した。マクバーニーが持っていた成形型はマルディキアンに返却されることはなかった。 原形となった1973年型365GTS/4は型を取るために一度分解されているが、マルディキアンのものではなく顧客の所有物だったという。1988年にオークションに出品されサンディエゴ近郊ラホヤのスポーツカー専門店が落札した記録が残っている。
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