ディミトリ・ミトロプーロスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > 近現代の作曲家 > ディミトリ・ミトロプーロスの意味・解説 

ディミトリ・ミトロプーロス

(ディミトリー・ミトロプーロス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 10:25 UTC 版)

ディミトリ・ミトロプーロス
Dimitris Mitropoulos
基本情報
生誕 1896年3月1日
ギリシャアテネ
死没 (1960-11-02) 1960年11月2日(64歳没)
イタリアミラノ
職業 指揮者・ピアニスト・作曲家

ディミトリス・ミトロプーロス(Dimitris Mitropoulos〔ギリシャ語Δημήτρης Μητρόπουλος 〕, 1896年3月1日 - 1960年11月2日)は、主にアメリカ合衆国で活躍したギリシャ人指揮者ピアニスト作曲家。一般にはスラヴ語風のディミトリ (Dimitri) の名で知られる。

経歴

アテネ出身。代々ギリシャ正教の司祭を出してきた家庭で育つ。郷里のアテネ音楽院ではピアノをルートヴィヒ・ヴァッセンホーフェン (Ludwig Wassenhoven) [1]に学び、ブリュッセルでは和声と対位法をアルマン・マルシックに、作曲をポール・ギブソンに学んだ後、ベルリンフェルッチョ・ブゾーニほかに師事。1921年から1925年までベルリン国立歌劇場エーリヒ・クライバーの助手を務めた後、帰国してギリシャでアテネ交響楽団の指揮者、アテネ音楽院の教授など数々の地位を得る[2]1930年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ピアノ協奏曲を演奏した際、自らピアノ・パートを演奏しながらオーケストラを指揮した。現代の弾き振りの先駆者といえる。

アメリカ合衆国

1936年ボストン交響楽団を指揮してアメリカ合衆国デビューを果たし、その後間もなくアメリカに定住して1946年にはアメリカ国籍を取得した。1937年から1949年までミネアポリス交響楽団首席指揮者を務め、また、1945年から客演していたニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団1949年に常任指揮者として招かれた。1951年から同管弦楽団の首席指揮者に就任し、1957年レナード・バーンスタインに後を譲った。この間、1954年からはメトロポリタン歌劇場の常任指揮者としても活動した[2]。さらに、《交響曲 第6番「悲劇的」》を含むマーラー作品を、アメリカ合衆国に本格的に紹介するなどの活躍を見せた。

1960年ミラノスカラ座でマーラーの《交響曲 第3番》のリハーサル中に急死。

レパートリー

ミトロプーロスは、新ウィーン楽派などの現代音楽の献身的な擁護者として有名であった。自らも作曲家として数多くの管弦楽曲やピアノ独奏曲を遺しており(ピアノ・ソナタなどの代表作がある)、バッハオルガン曲をオーケストラ用に編曲するなどもした。バーンスタインはミトロプーロスの影響でマーラーの交響楽に興味を寄せ、マーラー作品を指揮するにあたってミトロプーロスに力づけられた。ミトロプーロスは、エルンスト・クルシェネクのピアノ協奏曲の初演と録音でピアノ・パートを演奏し(CDに復刻ずみ)、ロジャー・セッションズピーター・メニンなどの現代アメリカ合衆国の作曲家の作品も初演し、録音した。プロコフィエフのピアノ協奏曲の録音でも、弾き振りでニューヨーク・フィルハーモニー管を指揮した。

逸話

1950年代終わりにしばしば協演していたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者たちからは、敬意を込めて『ギリシャの哲人』と呼ばれ、高く評価されていた。

暗譜をはじめ、見事なまでの記憶力はしばしば伝説的であり、元ウィーン・フィルの楽団長をつとめたオットー・シュトラッサーによると、「リハーサルの前夜、楽員名簿をホテルに届けさせて暗記し、翌朝の練習では奏者への呼びかけを名前で行なって、たちまち指揮者とオーケストラとの間に信頼関係を築くことができた」という。また、演奏会当日の朝に持ち込まれた新作の総譜を、「サイズが大きすぎて譜面台に載らない」といって、ページをバラしてホール内の通路上に並べ、歩きながら全部記憶してリハーサルも本番もこなしてしまったという、とても現実の出来事とは思われない逸話の持ち主である。

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ a b LP「シェーンベルク『清められた夜』作品4/プロコフィエフ バレエ『ロメオとジュリエット』」(ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニック、1976年、CBS/SONY)ライナーノーツ(浅里公三)

参考文献・参考事項

  • Arfanis, Stathis A. The Complete Discography of Dimitri Mitropoulos. Athens: Irinna S.A., 1990. ISBN 9607110005
  • Mitropoulos, Dimitri, and Katsoyanis, Katy: A correspondence, 1930 - 1960. New York: Martin Dale, 1973. Introductions by Louis Biancolli and Katy Katsoyanis.
  • Trotter, William R. Priest of Music: The Life of Dimitri Mitropoulos. Portland, Oregon: Amadeus Press, 1995. ISBN 0931340810
  • Time November 25, 1957
  • 中野雄『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』文春新書




固有名詞の分類

近現代の作曲家 モーリス・エマニュエル  ペーザー・グラム  ディミトリ・ミトロプーロス  天野正道  エルヴィン・レンドヴァイ
アメリカ合衆国の指揮者 ファビエン・セヴィツキー  ジェームズ・デプリースト  ディミトリ・ミトロプーロス  ルーカス・フォス  ゾルターン・ロズニャイ
ギリシャの作曲家 ジョルジュ・アペルギス  ディミトリス・ドラガタキス  ディミトリ・ミトロプーロス  ニコラス・ツォルティス  ミキス・テオドラキス
ギリシャのクラシック音楽のピアニスト ディミトリス・スグロス  ディミトリ・ミトロプーロス  ジーナ・バッカウアー
ギリシャの指揮者 モーリス・アブラヴァネル  レオニダス・カヴァコス  ディミトリ・ミトロプーロス
アメリカ合衆国の正教徒 ミカエル・ピューピン  ゲオルギイ・フロロフスキイ  ディミトリ・ミトロプーロス  イーゴリ・ストラヴィンスキー  エヴァン・ライサチェク
ギリシャの正教徒 エギナのネクタリオス  マクシム・グレク  ディミトリ・ミトロプーロス  フィロセイ  ギリシャの首相

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディミトリ・ミトロプーロス」の関連用語

ディミトリ・ミトロプーロスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディミトリ・ミトロプーロスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディミトリ・ミトロプーロス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS