エルヴィン・レンドヴァイとは? わかりやすく解説

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エルヴィン・レンドヴァイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 07:57 UTC 版)

エルヴィン・レンドヴァイ
生誕 (1882-06-04) 1882年6月4日
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国 ブダペスト
死没 (1949-03-21) 1949年3月21日(66歳没)
イギリス サリー州エプソム
学歴 ブダペスト王立音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

エルヴィン・レンドヴァイハンガリー語: Erwin Lendvai1882年6月4日 ブダペスト1949年3月21日もしくは31日 エプソム)はハンガリー作曲家合唱指揮者

経歴

出生から修学期

1882年、オーストリア=ハンガリー帝国ブダペストで生まれた。ブダペスト王立音楽院にてハンス・ケスラーに師事。ミラノロッシーニ国立音楽院に留学した。

ドイツ在住時代

修了後は、1906年よりドイツに移住し、教育活動に入った。1913年から1914年までヘレラウのジャック=ダルクローズ研究所で教鞭を執り、同地で写真家のエルナ・ディルクセンと結婚した。1914年から1920年まで、ベルリンクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院の作曲科教授となり、作曲法を教授。1923年にはハンブルクの国民音楽学校で合唱を指導した。コブレンツの合唱協会でも指揮者となり、ミュンヘンの民間の合唱団も指揮した。1929年にはアルノルト・シェーンベルクの合唱曲《倖せ(Glück)》作品35-4を初演した。

イギリス移住後

1933年ナチス政権によってドイツからの出国を余儀なくされると、その後はイングランドに移住してケニングホールで音楽教師として働いた。戦後はハンガリーに帰国して、ジェール音楽院の院長を務める。この間にバルトーク・ベーラの作品に興味を寄せるようになった。1949年、サリー州エプソムにて死去。

家族・親族

作曲作品

1916年ゲルハルト・ハウプトマンの原作によって唯一のオペラ《エルガ(Elga)》を作曲した。その他の代表作に、祝典音楽《民衆の自由(Völkerfreiheit)》(1930年)、交響曲、《古風な舞曲》、《管弦楽のためのスケルツォ》、《オルガンのための3つの小品》作品4があり、さらに室内楽曲、合唱曲、歌曲も手懸けた。

参考資料

  • Erwin Lendvai
  • Hugo Leichtentritt, E. Lendvai. Berlin 1912.
  • Gesine Schröder, Zum Streit der Männerchöre in den Zwanziger Jahren: Eine Erinnerung an Erwin Lendvai", in:
  • Tagung AIM Gender in Stuttgart-Hohenheim, 2.-4.2.2006 PDF

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脚注





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