エルヴィン・ローデ
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エルヴィン・ローデ(独: Erwin Rohde、1845年 - 1898年[3])は、ドイツの古典学者・文献学者[1]。ニーチェの親友[4][5]。
経歴
1845年、ハンブルクの医家に生まれる[4]。ボン大学とライプツィヒ大学でリッチュルに師事[4]。同門のニーチェと親友になり、リッチュルから二人は「ディオスクロイ」と綽名される[4]。
1872年、ニーチェが『悲劇の誕生』を刊行し、ヴィラモーヴィッツらから激しく批判されると、ローデのみがニーチェを擁護した[4]。ニーチェが学界を去った後も交友を続け[4]、書簡を交わした[6]。
ドイツ各地の大学講師などを経て、1886年からハイデルベルク大学教授[3]。1898年、逝去[3]。
学問
主著『プシューケー、ギリシア人の霊魂祭祀と不死信仰』(全2巻、1890-1894年)[7][4]では、オルペウス教・バッコス崇拝など古代ギリシアの宗教[2]、霊魂(プシューケー)観を分析した[4]。
『ギリシア小説とその前身』(1876年)[8]では、古代ギリシア小説史の研究を開拓した[3]。「第二次ソフィスト」に初めて着目したのも同書である[9]。
脚注
- ^ a b 日外アソシエーツ、367日誕生日大事典『エルヴィンローデ』 - コトバンク
- ^ a b アンリ・ジャンメール 著、小林真紀子;福田素子;松村一男;前田寿彦 訳『ディオニューソス バッコス崇拝の歴史』言叢社、1991年。ISBN 978-4905913405。115-117;551-552頁。
- ^ a b c d e 片山英男、平凡社、改訂新版 世界大百科事典『ローデ』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h 大沼忠弘 著「ローデ」、渡辺二郎・西尾幹二 編『ニーチェ物語 : その深淵と多面的世界』有斐閣、1980年、41-43頁 。NDLJP:12291386/29。
- ^ 國方栄二『ギリシア・ローマの智恵』未知谷、2016年。 ISBN 978-4-89642-494-2。153頁。
- ^ 西研 (2015年). “「体験を黄金に変える」-藤野美奈子の〝発見〟したニーチェ―”. 2025年7月5日閲覧。
- ^ Psyche Seelencult und Unsterblichkeitsglaube der Griechen
- ^ Der griechische Roman und seine Vorläufer
- ^ 堀尾耕一「哲学的弁論術と第二のソフィスト術 (PDF) 」『ギリシャ哲学セミナー論集』Vol. XI、ギリシャ哲学セミナー、2014年。4頁
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