テレンス・トレント・ダービーとして
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「サナンダ・マイトレイヤ」の記事における「テレンス・トレント・ダービーとして」の解説
1987年にコロムビア・レコードから発売されたデビュー・アルバム『T.T.D. Introducing The Hardline According to Terence Trent D'Arby』はロック、ファンク、リズム・アンド・ブルース、ゴスペルなどをクロスオーバーさせた音楽性で瞬く間に成功を収め、発売後3日間でミリオン・セラーに達する。アメリカでも逆輸入の形でヒットし、累計売上は1200万枚を超えている。Wishing Well, If You Let Me Stayはプリンスがライブでカバーしたことでも有名になる。翌年にはグラミー賞 Grammy Award for Best Male R&B Vocal Performance 、ブリット・アワード International Breakthrough Act を授与された。 しかし続くアルバム『N.F.N.F. Neither Fish Nor Flesh』(1989年)では評論家の批評も辛辣なものが増え、売り上げも200万枚程度に終わってしまい、前作ほどの商業的成功を収めることが出来なかったが、レニー・クラヴィッツ、ジョージ・マイケル、ブルース・スプリングスティーンなどはこのアルバムを絶賛しており、アーティストからの評価は非常に高かった。 ロサンゼルスに転居してアルバム『シンフォニー・オア・ダム』(1993年)を発表。ロック色の強い本作は批評家の受けも良く、ラジオ局でも頻繁にエアプレイされる。『バイブレーター』(1995年)発表後はコロムビア・レコードを離れてジャヴァ・レコードと契約、アルバム Solar Return の制作を始めるも完成せず、2000年に権利を引き取ってレコード会社を離れる。 1999年には INXS のシンガーとして参加し、シドニーオリンピックの開会式に出演した。
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