アーティストからの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:40 UTC 版)
「フェスティバルホール」の記事における「アーティストからの評価」の解説
『音の職人』とも称されるほど音質にとことんこだわる山下達郎は、1980年5月にコンサートツアー「RIDE ON TIME CONCERT'80」の大阪公演で当ホールのステージを初めて踏んで以来、自身のコンサートツアーの大阪公演では必ず当ホールを公演会場として使用してきており、後記の通り、老朽化に伴う建て替え計画には懸念の情を示すほどだった。 またさだまさしも大阪での公演の殆どを当ホールで開いてきており、「神様が作ったホール」と称賛している。 1978年3月30日に初めて当ホールにて公演を行ったさだは、デビュー35周年記念ツアー中に当ホールでの通算200回目となる公演を行い、その模様を『さだまさしデビュー35周年記念コンサートFESTIVAL HALL 200』というタイトルのライブ・アルバムに収録、さらには2001回目のコンサートを収録した『LIVE二千一夜』、デビュー20周年記念コンサートを収録した『のちのおもひに』など、多数のライブアルバムを当ホールで収録しており、この辺りからもさだの当ホールに対する思い入れの強さが窺える。そのようなこともあってか、さだ・山下の2人は閉鎖直前に立て続け公演を行った。 中島みゆきもこのホールを愛し、当ホールでの自身最後の公演の際には「フェスティバルホールありがとう」と観客やスタッフと共に拍手を贈っており、浜田省吾もまた「東京では日本武道館、大阪ではフェスティバルホールでコンサートをするのがミュージシャンにとってのステータスだった」と述べている。
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