テレビの普及とエレキ・ブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:15 UTC 版)
「日本のロック」の記事における「テレビの普及とエレキ・ブーム」の解説
1959年6月にはフジテレビで音楽番組「ザ・ヒットパレード」の放送が開始される。1960年にニール・セダカの「恋の片道切符」をロカビリー三人男がカバーしたのを皮切りに、1960年代に入るとアメリカン・ドリームを歌うアメリカの翻訳ティーン・ポップが隆盛となった。1962年にはチャビー・チェッカーのカバーした「ザ・ツイスト」からツイストがブームとなった。1963年には坂本九の「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」のタイトルで全米1位を獲得した。 1964年には藤本好一(ブルー・ジーンズ)がカバーしたアストロノウツの「太陽の彼方に」や、橋幸夫の和製サーフィン「恋をするなら」がヒットし、サーフィン・ブームとなった。「パイプライン」「キャラバン」といったベンチャーズの演奏した曲もヒットし、彼らを真似たエレキギターを使ったインスト・バンドが日本にも多数誕生した。代表的なバンドとしては寺内タケシとブルージーンズ、加山雄三のザ・ランチャーズなどがある。 1964年に開催の東京オリンピックに合わせて、新しいメディアであるテレビが急速に普及した。1965年1月にはアストロノウツとベンチャーズの来日合同公演が行われ、エレキ・ブームは大いに盛り上がりをみせた。1965年6月よりフジテレビで「勝ち抜きエレキ合戦」の放送が開始され、ロックを担う若者の育成に一役を買った。
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