ティムール家の系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:17 UTC 版)
「カラチャル (バルラス部)」の記事における「ティムール家の系譜」の解説
アラン・ゴア(Alānquwā)…ティムール家の伝承上ではアリーの子孫とされる。 ボドンチャル(Būdhunchar)…ボルジギン氏の始祖。 ブカ(Būqā) トゥトゥメティン(Tūtūmetīn) カイドゥ(Qaydū) バイスングル(Bāīsunghur) トゥメネイ・ハーン(Tūmenāī)…伝承上ではカブルの子孫が世界を征服するハーンとなり、カチュライの子孫がそれを補佐するであろうと予言したとされる。 カチュライ(Qachūlāī)…伝承上では兄のカブル・ハーンとの間に、カチュライ家はカブル家から代々軍事と行政を委任される「誓約書」を交わしたとされる。 エルデムチ・バルラス(Erdemchī)…伝承上ではバルタン・バアトルを補佐したとされる。 スグチェチェン(Sūghūchīchīn)…伝承上ではイェスゲイ・バアトルを補佐したとされる。『元朝秘史』でもカラチャルの父として登場する。 カラチャル・ノヤン(Qarāchār Nūyān)…チンギス・カンからチャガタイに与えられ、伝承上ではチャガタイ・ウルスの統治を掌ったとされる。 アミール・イジェル(Ījel)…伝承上ではアルグ及びムバーラク・シャーに仕えたが、バラクの治世にフレグ・ウルスに移住したとされる。 アミール・イランギル(Īlangīr)…伝承上ではバラクの息子ドゥアに仕え、先祖伝来の「誓約書」をドゥアとの間で更新したとされる。同時代史料には記載がない。 アミール・ボルギュル(Börgül)…同時代史料には記載がない。「アバガイ」という名前とする史料も存在する。 アミール・タラガイ(Taraghāī)…伝承上では早くにバルラス部の統治権を放棄し、学者達との交流や宗教的生活に専念していたとされる。 アミール・ティムール・キュレゲン(Tīmūr) 以上の名前はサマルカンドのティムールの墓石の記述に拠る。アラン・ゴアからエルデムチに至る系譜は『集史』の記述と一致するが、『集史』「トゥメネ・ハーン紀」ではエルデムチの息子をトゥダン(Tūdān)、その息子がジョチエ(Jūchī'a)、その息子がチンギス・カンに仕えた千人隊長ブルガン・カルジャ(Bālūqān Qālja)であるとしており、上述のティムール家の系譜と食い違う。一方、『元朝秘史』では上述したようにスクゥ・セチェン(=スグチェチェン)の息子がカラチャルであったことのみが記されており、『元朝秘史』の伝えるカラチャルの家系と『集史』の伝えるブルガン・カルジャの家系が実際に姻戚関係にあったかどうかは不明である。
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ティムール家の系譜
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アラン・ゴア(Alānquwā)…ティムール家の伝承上ではアリーの子孫とされる。 ボドンチャル(Būdhunchar)…ボルジギン氏の始祖。 ブカ(Būqā) トゥトゥメティン(Tūtūmetīn) カイドゥ(Qaydū) バイスングル(Bāīsunghur) トゥメネイ・ハーン(Tūmenāī)…伝承上ではカブルの子孫が世界を征服するハーンとなり、カチュライの子孫がそれを補佐するであろうと予言したとされる。 カチュライ(Qachūlāī)…伝承上では兄のカブル・ハーンとの間に、カチュライ家はカブル家から代々軍事と行政を委任される「誓約書」を交わしたとされる。 エルデムチ・バルラス(Erdemchī)…伝承上ではバルタン・バアトルを補佐したとされる。 スグチェチェン(Sūghūchīchīn)…伝承上ではイェスゲイ・バアトルを補佐したとされる。『モンゴル秘史』でもカラチャルの父として登場する。 カラチャル・ノヤン(Qarāchār Nūyān)…チンギス・カンからチャガタイに与えられ、伝承上ではチャガタイ・ウルスの統治を掌ったとされる。 アミール・イジェル(Ījel)…伝承上ではアルグ及びムバーラク・シャーに仕えたが、バラクの治世にフレグ・ウルスに移住したとされる。 アミール・イランギル(Īlangīr)…伝承上ではバラクの子のドゥアに仕え、先祖伝来の「誓約書」をドゥアとの間で更新したとされる。同時代史料には記載がない。 アミール・ボルギュル(Börgül)…同時代史料には記載がない。「アバガイ」という名前とする史料も存在する。 アミール・タラガイ(Taraghāī)…伝承上では早くにバルラス部の統治権を放棄し、学者達との交流や宗教的生活に専念していたとされる。 アミール・ティムール・キュレゲン(Tīmūr) 以上の名前はサマルカンドのティムールの墓石の記述に拠る。アラン・ゴアからエルデムチに至る系譜は『集史』の記述と一致するが、『集史』「トゥメネ・ハーン紀」ではエルデムチの息子をトゥダン(Tūdān)、その息子がジョチエ(Jūchī'a)、その息子がチンギス・カンに仕えた千人隊長ブルガン・カルジャ(Bālūqān Qālja)であるとしており、上述のティムール家の系譜と食い違う。一方、『モンゴル秘史』ではスクゥ・セチェン(=スグチェチェン)の息子がカラチャルであったことのみが記されており、『モンゴル秘史』の伝えるカラチャルの家系と『集史』の伝えるブルガン・カルジャの家系が実際に姻戚関係にあったかどうかは不明である。
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