ティムール朝の台頭とバルラス部族神話とは? わかりやすく解説

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ティムール朝の台頭とバルラス部族神話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:11 UTC 版)

バルラス」の記事における「ティムール朝の台頭とバルラス部族神話」の解説

14世紀中頃西チャガタイ・ハン国シャフリサブズにいたバルラス部の小貴族で、カラチャル・ノヤンの5代目の子孫にあたるティムールは、チャガタイ・ハン国再編動き乗って頭角あらわし1360年バルラス部のアミールとなったティムール1370年までに西トルキスタン各地割拠する諸部族制圧し西チャガタイ・ハン国領を統一しティムール朝建設するティムール朝出自バルラス部族であるからチンギス・カン男系子孫いわゆるアルタン・ウルク(黄金氏族/Altan uruγ)でなければ即位することのできないハン地位に就くことができず、チンギス・ハーンの子孫を保護して名目上ハン立て、自らはチンギス家の娘と結婚して王家娘婿(アミール・キュレゲン)の資格をもとに支配正統化を行ったティムール朝治下では、この体制歴史的に裏付けるためにある種伝説つくられた。年代記記されところによると、モンゴルのトゥメネイ・ハン(『元朝秘史』のトンビナイ・セチェン)には、カチュリとカブル二人の息子がおり、父のトゥメネイは弟のカブルその子孫ハン位を継承し、兄のカチュリとその子孫ハンのもとで行政軍事司るように定め二人誓約を行わせたというものであるこのようにしてカブルの子孫であるチンギス家はハンとして即位する権利をもつけれども、カブルの子孫であるティムール家が先祖誓約に従って行政軍事全権を握るというものである。こうして、バルラス部のティムール家は、チンギス家に次ぐ高貴な家柄であることが主張された。 16世紀初頭ティムール朝滅ぼされた後も、ティムール家の王子バーブルインド移ってムガル帝国立てたので、ムガル帝国として続いたムガル帝国でもバルラス部はチンギス家と並ぶ高貴な家系であるという主張繰り返され王家正統性主張されている。

※この「ティムール朝の台頭とバルラス部族神話」の解説は、「バルラス」の解説の一部です。
「ティムール朝の台頭とバルラス部族神話」を含む「バルラス」の記事については、「バルラス」の概要を参照ください。

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