ティムール朝の台頭とバルラス部族神話
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「バルラス」の記事における「ティムール朝の台頭とバルラス部族神話」の解説
14世紀中頃、西チャガタイ・ハン国のシャフリサブズにいたバルラス部の小貴族で、カラチャル・ノヤンの5代目の子孫にあたるティムールは、チャガタイ・ハン国再編の動きに乗って頭角をあらわし、1360年にバルラス部のアミールとなった。ティムールは1370年までに西トルキスタンの各地で割拠する諸部族を制圧して西チャガタイ・ハン国領を統一し、ティムール朝を建設する。ティムール朝は出自がバルラス部族であるから、チンギス・カンの男系子孫、いわゆるアルタン・ウルク(黄金氏族/Altan uruγ)でなければ即位することのできないハンの地位に就くことができず、チンギス・ハーンの子孫を保護して名目上のハンに立て、自らはチンギス家の娘と結婚して王家の娘婿(アミール・キュレゲン)の資格をもとに支配の正統化を行った。 ティムール朝の治下では、この体制を歴史的に裏付けるためにある種の伝説もつくられた。年代記に記されたところによると、モンゴルのトゥメネイ・ハン(『元朝秘史』のトンビナイ・セチェン)には、カチュリとカブルの二人の息子がおり、父のトゥメネイは弟のカブルとその子孫がハン位を継承し、兄のカチュリとその子孫はハンのもとで行政と軍事を司るように定め、二人に誓約を行わせたというものである。このようにして、カブルの子孫であるチンギス家はハンとして即位する権利をもつけれども、カブルの子孫であるティムール家が先祖の誓約に従って行政と軍事の全権を握るというものである。こうして、バルラス部のティムール家は、チンギス家に次ぐ高貴な家柄であることが主張された。 16世紀初頭にティムール朝が滅ぼされた後も、ティムール家の王子バーブルはインドに移ってムガル帝国を立てたので、ムガル帝国として続いた。ムガル帝国でもバルラス部はチンギス家と並ぶ高貴な家系であるという主張は繰り返され、王家の正統性が主張されている。
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