ツーフローMOCVD技術特許訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:08 UTC 版)
「日亜化学工業」の記事における「ツーフローMOCVD技術特許訴訟」の解説
日亜化学工業の元社員である中村修二が、在職時に小川信雄社長(当時)の支援を受けて、窒化ガリウム系化合物単結晶膜の製造に利用可能な「ツーフローMOCVD技術」(通称404特許)を発明した。2001年8月、この特許権帰属確認と後に譲渡対価請求を求めて日亜化学工業を提訴し、注目を集めた。なお、訴訟提起時には小川信雄は既に社長を退いており、娘婿の小川英治が社長に就いていた。2005年1月、裁判所が和解を促し中村も裁判のこれ以上の長期化を嫌ったため両者は和解した。中村は裁判後弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた。この訴訟などを機に職務発明の扱いが社会問題になり、特許法の改正が行われた。本訴訟中に日亜化学工業は404特許を「量産には必要のない技術」であるとして無価値であることを幾度も述べ、その特許権を2006年2月に放棄した。日亜化学工業は「アニールp型化現象」が量産化の鍵であったと主張している。中村修二は後にノーベル物理学賞を受賞したが、そのときの共同受賞者である天野浩は中村の功績について、「中村さんは実験の神様みたいな人。あの人がやったから実用化が急速に進んだ。この材料が注目された最大の功績者は中村さんじゃないかと思う」と語っている。
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