チリキ鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/04 06:56 UTC 版)
19世紀終わり、パナマ政府はさらなる鉄道建設の可能性を検討した。1910年にパナマ鉄道は、パナマ市からチリキ県のダビッドを結ぶ区間、及びコクレ県のアントンとロス・サントス県へと向かう支線の建設費用の見積もりを政府から依頼された。しかし、概算された費用があまりにも高額であったことから、政府はチリキ県内のみに新たな鉄道を建設する判断を下した。1914年にそれぞれチリキ県内の、ダビッド・ボケーテ・コンセプシオンを結ぶ区間、ドレーガとポトレリージョスを結ぶ支線、ペドレガール港の短距離鉄道を建設する契約が締結された。1916年4月23日、ダビッドからボケーテまでの区間が開通した。 Edwards Rail Car companyは、日付の記されていない受領書の中で、おそらく1920年代頃、チリキ鉄道へ鉄道車両を3両引き渡したと報告している。 1930年代と1940年代において、チリキ鉄道はパナマ国内でバナナ栽培と不動産管理を行っていたChiriquí Land Co.(チリキ・ランド・カンパニー、ユナイテッド・フルーツ社の関連会社)と接続していたと言及されている。チリキ・ランド・カンパニーではゼネラル・エレクトリック社の機関車が使用されていた。 1974年以降、チリキ鉄道のインフラ設備は公共事業省(MOP、Ministerio de Obras Públicas)に移管された。そして、20世紀末になるとほとんどの運行は停止されてしまった。21世紀に入ると一部廃止された区間の鉄道橋は農村地帯の橋梁の建設に再利用された。
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