ダテハクタカ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 07:38 UTC 版)
1972年6月4日14時30分頃、中山大障害(春)に出走するため中山競馬場のパドックに移動したところ突如暴れだし、右後脚の蹄鉄が外れるアクシデントが発生した。いったんパドックを出て蹄鉄の打ち替えを行うことにしたが、右目に何かが付着してダテハクタカが痛がっていることに担当厩務員が気付いた。検査の結果右目が白濁し、視力にも異常が認められたため競走除外となった。 装鞍所からパドックに向かう通路で「サイダー瓶一本程度の水のようなものが馬の頭上に落ちてきた」との調教助手の証言があり、何者かが通路のコンクリート塀から身を乗り出して劇薬を投げつけたとみられている。 獣医の診察により硫酸とみられる化学物質による負傷と判断され、何者かが故意にダテハクタカを負傷させた疑いがあるとして、船橋警察署が捜査に乗り出した。6月9日には中山競馬場内で濃硫酸が残留した容器が発見され、さらに前日の6月3日に同競馬場内パドックにおいて第10レースの出走馬を周回させていた厩務員が負傷(被服に穴が開く火傷)していたことも明らかになり、何者かが競走馬を狙って故意に濃硫酸を浴びせようとした疑いが濃厚となった。しかしダテハクタカが負傷した当時は天候が悪かったために有力な目撃証言が得られず、また濃硫酸が残留した容器から指紋が検出されないなど物証が乏しかったため捜査は難航し、結局犯人は検挙されなかった。 ちなみにこの中山大障害(春)は、ダテハクタカ絡みの馬券は単勝で856万円、枠番連勝では4億2715万円も売られていた。 レースはスタート直後4番人気のクリタカラが落馬により競走中止、除外されたダテハクタカに代わって単勝1番人気になったインターヒカリが大差で最下位の6着、兄弟であるナスノセイランとナスノヒエンがそれぞれ1着2着でゴールするという、荒れ模様のレースとなった。
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