タツィオ・ヌボラーリ(イタリア)
イル・マントバーノ・ボランテ、天駆けるマントバ人と呼ばれた、20世紀最高のドライバー。駆け引きや計算によってレースに勝つことを考えず、ゴールまでひたすら全力で走ることで知られた。ブラインドコーナーにも少しも恐れることなく、全力で飛び込み、前車がいればパスしていった。1930年のミレ・ミリアではゴール間近でチームメイトのアキーレ・バルツィを抜き去ったため、これ以降2人は袂を分かち、終生同じチームには所属することはなかった。ヌボラーリ最高のレースは35年のドイツGP。そのとき圧倒的な優勢を示すメルセデスとアウトウニオンのドイツ勢、ファシスト政府の高官たちが自国の技術を勝利によって世界に誇示するために待ち構えていた。ヌボラーリは既に競争力に衰えをみせるアルファメロオP3で、孤軍奮闘。給油時にタイムロスはしたものの最終ラップにタイヤがバースト寸前だったフォン・ブラウヒッチュのメルセデスをパスして優勝した。一方、積極的なドライビングからクラッシュも多く、晩年には満身創撲の状態で入院することが多かった。それでも他人の肩を借りてマシンに乗り込み、47年にはチシタリアで、48年にはフェラーリでミレ・ミリアに参加、双方ともあと少しで優勝というところまでいった。いずれどこかのレースで命を落とすだろう、という予想に反して、マントバの自宅のベッドで静かにその生涯を閉じた。亀のマークにイニシャルのTNを重ねたシンボルマークを縫い付けた、黄色いシャツとブルーのズボンという彼の気に入りのレーシングスタイルで埋葬されたと伝えられる。
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