ソルトレークシティオリンピック出場・4位入賞とは? わかりやすく解説

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ソルトレークシティオリンピック出場・4位入賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:15 UTC 版)

本田武史」の記事における「ソルトレークシティオリンピック出場・4位入賞」の解説

1998-1999シーズンフリープログラムで『仮面の男』を演じNHK杯ではエフゲニー・プルシェンコ次いでISUグランプリシリーズ初の表彰台となる2位1998年12月からはカナダのダグラス・リーのもとに拠点を移す。3度目優勝目指し第67回全日本選手権ではケガのためフリースケーティング棄権したが、初め開催され1999年四大陸選手権では前年長野オリンピックメダリストらが出場する中、SPフリースケーティングともに1位となり、17歳初代王者輝いた法政大学進学した1999-2000シーズンスケートカナダ3位となり、第68回全日本選手権では3年ぶり3度目優勝果たした2000-2001シーズンには第69回全日本選手権4度目優勝飾り2001年四大陸選手権では2位となった2001年世界選手権では総合5位入賞となり、前回長野五輪同様に2002年ソルトレークシティオリンピック男子シングル日本代表出場枠「2」を獲得2001-2002シーズンスケートアメリカ2位NHK杯五十嵐文男以来20年ぶりの日本男子優勝果たし日本人男子選手として初めグランプリファイナル進出グランプリファイナルでは5位だったものの、この結果によりソルトレイクシティ五輪男子シングル代表に早々内定したソルトレイクシティ五輪男子シングルでは、ショートプログラムで『ドン・キホーテ』の曲に合わせて、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプ3回アクセル成功させ、アレクセイ・ヤグディンに次ぐ暫定2位につけたフリースケーティングでは4回転トウループジャンプ着氷ステップアウトするミスがあり4位、総合でも4位入賞に下がり惜しくも五輪メダル逃した。それでも、日本フィギュアスケート界において男子シングル種目冬季五輪入賞は、本田初めての達成者だった(それ迄1960年スコーバレー五輪佐藤信夫の8位が最高だったが、当時入賞者は6位迄だった)。

※この「ソルトレークシティオリンピック出場・4位入賞」の解説は、「本田武史」の解説の一部です。
「ソルトレークシティオリンピック出場・4位入賞」を含む「本田武史」の記事については、「本田武史」の概要を参照ください。

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