ソルトレイクシティ五輪出場・17位
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「恩田美栄」の記事における「ソルトレイクシティ五輪出場・17位」の解説
1999-2000シーズンの全日本選手権では4位止まりだったが、同シーズン初出場の四大陸選手権で5位となる。四大陸選手権で日本女子シングル代表としては村主章枝(4位)より下位だったものの、フリースケーティングの内容が評価され、1枠しかなかった世界フィギュア選手権代表の座を勝ち取る。恩田にとって初の出場だった2000年世界選手権では、総合12位に入った。 2000-2001シーズンの全日本選手権では自身初めての表彰台となる3位に入る。さらに四大陸選手権でも3位で銅メダルを獲得。但し四大陸選手権は村主が優勝し、また2001年世界選手権の日本女子代表は1枠のみのため、恩田の2年連続の世界選手権選出はならなかった。 2001-2002シーズン、ISUグランプリシリーズ(GPシリーズ)で2戦続けて2位となり、GPファイナルに初進出。同時にソルトレークシティオリンピック代表選出も内定した。しかしソルトレイクシティオリンピックのショートプログラムでは、コンビネーションジャンプの失敗が響き17位と大きく出遅れてしまう。フリースケーティングでも序盤でトリプルアクセルに挑むも転倒してしまい、他のジャンプはほぼ成功させたものの芸術点が伸びず、結局総合17位に終わった。
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