ソビエト連邦への参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:06 UTC 版)
「フェリックス・ジェルジンスキー」の記事における「ソビエト連邦への参加」の解説
彼の支持者達はジェルジンスキーがポーランドに帰還して同地に独立と共和政権を齎してくれることを期待していたが、彼はロシアに留まることを選択した。ロシア革命でウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキの勝利を目の当たりにしたジェルジンスキーにとって、ロシアを中核にした一大革命政府の樹立は魅力的な選択肢だった。彼は党をローザ・ルクセンブルクらに委ねると、自らはロシア社会民主労働党に入党、レーニンから実績を買われて定員12人のボルシェヴィキ派中央委員の1人に選出された。ジェルジンスキーは異国人ながらボルシェヴィキ達から深い尊敬を受け、同じ中央委員のニコライ・ブハーリンは様々な政治家について記述したメモに「革命の剣」(the Sword of Revolution)と彼を賞賛する言葉を書き残している。 中央委員として党運営に関わることになったジェルジンスキーはモスクワからペトログラードに移り、1917年10月10日の党中央委員会に出席した。彼は軍事革命委員会を組織して武装蜂起を行い、臨時政府を武力で打倒する(暴力革命)というレーニンの案に賛成票を投じた委員の一人であった。レーニンはジェルジンスキーを軍事革命委員に指名して、支配地域の治安維持を一任した。十月革命においてジェルジンスキーは保安部隊を率いて革命軍の参謀本部が置かれたスモーリヌイ修道院を警護する役目を負った。
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