ソチ五輪落選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:03 UTC 版)
2013-2014シーズン、スケートアメリカで6位と不調、中国杯では3位に留まりGPファイナル進出を逃す。全日本選手権では3位となるも、グランプリシリーズの成績不振が響いて、ソチオリンピックの代表には惜しくも選出されなかった。四大陸選手権では、優勝した無良崇人に次ぐ総合2位で銀メダルを獲得。世界選手権代表は当初補欠選出だったものの髙橋(ソチ五輪6位)がケガによる出場辞退で、小塚が急遽繰り上がり同大会2年ぶりに出場。準備期間が僅か3週間の調整ながらもSP・FS共に6位の総合6位に入った。 2014-2015シーズン、スケートカナダでは8位、ロステレコム杯は6位で2007-2008シーズン以来初めて両方の大会でメダルを獲得できなかった。全日本選手権ではSP6位だったもののFS2位と逆転し、同大会で2年連続3位の表彰台に登り、2年連続通算7回目の世界選手権代表入りを決める。しかし、世界選手権のSPでは3つのジャンプ全て失敗し19位と大きく出遅れてしまい、FSは1番滑走で順位を上げる(FSのみは9位)も、過去ワースト成績の総合12位に終わった。4月11日、東京都内で開催のトークショーに出演。その際に小塚自ら「4月から大学院に復学しました。修士論文があるため、スケートを3か月間は休みます。その間に今後どうするかを考えたい」と、同年夏頃にスケート選手としての進退について決断する事を明らかにした。 2015-2016シーズン、現役続行を決めたものの左足首腱鞘炎により中国杯を欠場。ロステレコム杯ではGPシリーズで過去最低の9位に沈む。全日本選手権でも5位に留まり、四大陸選手権及び世界選手権共に代表落ちとなった。
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