ソコロでの戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 23:27 UTC 版)
1917年にイエスの聖心奉仕団体(Confradia de Sagrado Corazon de Jesus)と呼ばれる宗教的な傾向を持つ集団がレイテ島のマシアンからブカスグランデへ殖民を始めた。初期の植民者はこの団体に参加したが、1923年に団体のリーダーはローマカトリック教会から離れフィリピン独立教会に参加した。激怒したダパ(英語版)のカトリック司祭はスリガオの地方保安隊に対してブカスグランデ島で当時政府に抵抗運動を行っていたコロルムの団体が政府に対する反乱を企てているとして報告した。 これに対して部隊が島に送られたものの、残虐的な行動に反発した島民が報復を行った。その後、ダパから軍が送られ、数人が殺された。1924年1月には別の戦闘が発生し、結果的に16人の兵士と40人の現地人が死亡した。後にアメリカ植民地政府が攻撃を行い、地元の戦闘員との降伏交渉を行った。 これらの問題の後、ソコロの住民はコロルムを無知、狂信者、犯罪者と同様に見る近隣の町の人々の間で嘲笑の対象となった。
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