ゼロックスPARC見学・Lisa
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:36 UTC 版)
「Appleの歴史」の記事における「ゼロックスPARC見学・Lisa」の解説
1979年夏、ゼロックスにAppleの株式10万株をIPO前に売却することの交換条件として、ジョブズはゼロックスのパロアルト研究所 (PARC) を見学する権利を得た。1979年12月にPARCを訪れたApple関係者の一団(ジョブズを含む)は、そこで目にしたマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) に強い印象を受けた。 ジョブズはAppleで1978年頃から開発されていたビジネス向けPC「Lisa(リサ)」に、PARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、1980年初頭からLisaプロジェクトのトップに立って開発を主導し始めた。しかし、Lisaの開発はジョブズの過剰な技術的要求によって混迷することとなり、社長スコットの判断でジョブズは1980年9月にLisaの開発チームから外された。 その後、ジョブズとの対立を深めたスコットはマークラからの支持も失って社長兼CEOを辞任することとなり、1981年3月からは暫定的にマークラがスコットの後を継いだ。スコットは、当時のAppleを暗に批判する手紙を残して1981年7月に会社を去った。スコットに代わる経営者として、ジョブズはペプシコーラからジョン・スカリーを引き抜いたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」というフレーズは有名になった。スカリーは1983年4月からAppleのCEOとして働き始めた。 1983年1月にようやく発売されたLisaは、GUIやマウスなど多くの革新的機能を備えていたが、価格は9,995ドルと極端に高く、またソフトウェア互換性の欠如がビジネスユーザーを遠ざける結果となり、販売は低迷した。Lisaの開発には1億5000万ドル以上が費やされたと伝えられるが、販売されたのはわずか1万台であり、Appleに多額の損失をもたらした。
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