スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキーとは? わかりやすく解説

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スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/08 14:03 UTC 版)

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スヴャトスラフ・ニコラーエヴィチ・クヌシェヴィツキー
出生名 Святослав Николаевич Кнушевицкий
生誕 (1908-01-06) 1908年1月6日
ロシア帝国、サラトフ県ペトロフスク
死没 (1963-02-19) 1963年2月19日(55歳没)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック
職業 チェリスト、音楽教師
担当楽器 チェロ
共同作業者 ダヴィッド・オイストラフレフ・オボーリン

スヴャトスラフ・ニコラーエヴィチ・クヌシェヴィツキー((ロシア語: Святослав Николаевич Кнушевицкий, 英語: Sviatoslav Nikolayevich Knushevitsky, 1908年1月6日ユリウス暦1907年12月24日) サラトフ県ペトロフスク - 1963年2月19日 モスクワ)はソビエト連邦チェリストモスクワ音楽院教授

概要

1923年モスクワ音楽院に入学し、セミョン・コゾルポフにチェロを師事する。1929年、音楽院卒業と同時にボリショイ劇場管弦楽団の首席奏者となり1943年まで務める。この間、1933年の全ソ音楽コンクールで優勝し、ソリスト及び室内楽奏者としても活躍しはじめた。

1943年[1]にはヴァイオリニストダヴィッド・オイストラフピアニストレフ・オボーリンと三重奏団「オイストラフ・トリオ」を結成、自身の死まで継続して活動を行った[2]

同時代に活躍したソ連の作曲家、ミャスコフスキーハチャトゥリアングリエールワシレンコからチェロ協奏曲を献呈されレパートリーの拡大に寄与している。また、1956年に復元されたチャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲原典版の初演も行っている。

教育者としては、1942年より母校のモスクワ音楽院で教え始め、1950年に教授に昇進、1954年から1959年の間はチェロ及びコントラバス部長を務めた。1963年にモスクワで没。

受賞

家族・親族

  • 兄:兄は作曲家で軽音楽指揮者のヴィクトル・クヌシェヴィツキー。
  • 妻:妻はソプラノ歌手のナタリア・シュピレル。

外部リンク(兼・参考文献)

参考文献

  • 日本・ロシア音楽家協会 編「ロシア音楽事典」(2006年 カワイ出版)ISBN 9784760950164

脚注

  1. ^ 1940年または1941年とする資料もある。
  2. ^ 録音は1958年ロンドンで収録されたベートーヴェンの『三重協奏曲』、『大公トリオ』、シューベルトの『ピアノ三重奏曲第1番』などが有名(EMI録音)



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