スレイマン1世の寵愛を得る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 16:49 UTC 版)
「ロクセラーナ」の記事における「スレイマン1世の寵愛を得る」の解説
ロクセラーナはすぐに主人であるスレイマン1世の注意を惹いて、ライバルたちに嫉妬されたものの、スレイマンの第2側室(イクバル)と呼ばれる側室から子供を成したことで第2夫人(イキンジ・カドゥン)となった。尚、カドゥンは夫人の意味。この時点でロクセラーナにとっての敵は、スレイマン1世の母后(英語版、トルコ語版)ハフサ・ハトゥン(英語版)と、ハフサ・ハトゥンを後ろ盾とする第1夫人マヒデヴラン、ロクセラーナの最初の所有者であったといわれる大宰相イブラヒム・パシャの3人であった。1534年にハフサ・ハトゥンが死去するとマヒデヴランはスレイマンの不興を買って宮殿を追われ、イブラヒム・パシャは処刑された。 マヒデヴランが宮殿から追われた経緯について、ヴェネツィア共和国駐イスタンブール大使のベルナルドウ・ナヴァゲラは、マヒデヴランと口論を起こしたロクセラーナが自ら顔に引っ掻き傷を作った上でスレイマン1世に呼び出されるような工作をしてスレイマン1世の関心を惹き、ロクセラーナの顔の引っ掻き傷をマヒデヴランの仕業と思い込んだスレイマン1世がマヒデヴランと息子のムスタファ(英語版)をマニサへ左遷させた。それによって、ムスタファがスレイマン1世から遠ざけられたばかりかスルタンの後継者としての地位から完全に脱落したことを内外に示すことになったと報告している。その結果、ロクセラーナはもはやライバルがいなくなったスレイマンの皇后としての地位を得た。また、イブラヒム・パシャについても、ロクセラーナが処刑に関与した具体的な証拠は存在しないが、人々はロクセラーナの関与を疑った。
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