スポーツ分野での活動
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1945年9月に、朝鮮体育同志会を結成して会長に就任。これはベルリンオリンピック参加者を中心とした団体で、本格的なスポーツ団体の組織と体育競技活性化のために努力した。同年12月、朝鮮体育会常務理事となった。李相佰は国際オリンピック委員会(IOC)加入を目指して活動。1946年に設立された朝鮮オリンピック委員会(のち大韓オリンピック委員会、KOC)設立メンバーとなり、朝鮮体育会理事長に就任した。 1948年ロンドンオリンピックに初めて出場した韓国選手団の団長を務めた。朝鮮戦争下の1951年には大韓体育会副会長に就任、1952年ヘルシンキオリンピックでは総監督として韓国代表選手団を率いた。また、大韓オリンピック委員会(KOC)のアジア競技連盟(AGF)加盟を果たし、1954年のマニラ・アジア大会では組織委員長を務めた。 以後も、1956年メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピックでは代表選手団団長などとして、選手団を率いて海外に遠征した。1964年、大韓体育会長・大韓オリンピック委員会委員長(ともに1966年まで)。同年、国際オリンピック委員会(IOC)委員に選出(韓国出身のIOC委員は李起鵬に次ぎ2人目)。1964年東京オリンピックでも選手団長として派遣された。
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