スポーツ冒険家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)
大相撲廃業後には二輪免許を取得し、プロレス入りまでの間はボクシング・アメリカンフットボールなどのオファーを断って「スポーツ冒険家」という肩書きでタレント活動を行った。テレビや週刊誌の取材にも応じ、「相撲は自分のビジネスの一つ。未練は全くない」と語っていた。週刊プレイボーイ・ビッグコミックスピリッツ(新感覚人生相談 綱に訊け!)では人生相談のコーナーを担当し、「『大相撲を辞めたからプロレスに行くだろう』とか思っているかもしれないが、そんな安易な考えはない」と語っていた。 とはいえ、北尾の進むべき道を「プロレスしかない」という見方が世間では根強かった。そんな中、スポーツ冒険家の仕事でアメリカ合衆国のプロレスラー養成所の一つである「モンスター・ファクトリー」を訪れたところ、同行していた東京スポーツの取材に対し「やるなら外人と同じように1シリーズごとに契約という形だね」と初めてプロレス転向に色気を示す発言をした。その場では進展こそなかったが、この発言によって急速にプロレスへ傾倒していく。
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