スペイン人との遭遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 16:11 UTC 版)
16世紀の前半にスペインの遠征隊がアパラチー族に出会った。パンフィロ・デ・ナルバエスの遠征隊は1528年にアパラチー族の領土内に入った。スペイン人はアパラチー族に対して残虐な行為を行ったので反抗に会い、アパラチー湾岸に戻って5隻の船を造り、メキシコへの脱出を試みた。 1539年、エルナンド・デ・ソトが人と馬の大探検隊でフロリダ半島の西海岸に上陸し金を探った。デ・ソトが出会った者達が金は「アパラチー」で見付けられると告げた。このことは金脈としてジョージア北部の山脈を言ったのか、あるいはアパラチー族が交易で手に入れた銅器のことを言っていたのか明らかでない。いずれにしてもデ・ソトとその部隊を遠くへ追い遣る結果になった。 ナルヴァエス遠征隊の時の経験や、デ・ソトの遠征隊が遭遇した種族との間に交わした戦闘の様子を聞き知った故に、アパラチー族はスペイン人を怖れ憎んだ。デ・ソト遠征隊はアパラチー族の領土内に入り、スペイン兵は「道の両側で出会ったインディアン全てを槍で突いた」と言われている。デ・ソトとその部下はアパラチー族のアンハイカの町を占領し、1539年から1540年に掛けての冬をそこで過ごした。 アパラチー族は小さな襲撃や待ち伏せで反攻を始めた。その矢は2層の鎖帷子を突き通せた。スペイン人が馬に乗っていないアパラチー族に対して大きな利点となる馬を狙うことを直ぐに覚えた。アパラチー族は「2人のキリスト教徒を殺すよりもこれらの動物1頭を殺すことに喜びを見出していた」と書かれている。1540年の春、デ・ソトとその部下はアパラチー族の領土を離れ、現在の北のジョージア州となっている地域に向かった。
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