スペイン人による征服後のインカ帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 19:57 UTC 版)
「サパ・インカ」の記事における「スペイン人による征服後のインカ帝国」の解説
ニナン・クヨチの死とともに正室の子であるワスカルがクスコで即位、側室の子のアタワルパはキトに幽閉されたが脱走し、5年間にわたる内乱が起きた。スペイン人のコンキスタドールであるフランシスコ・ピサロは、この内乱の最中にインカ帝国に侵入し、会戦で勝利しワスカルを幽閉した直後のアタワルパを監禁し、ワスカルとアタワルパ両名を処刑、ここにインカ帝国は瓦解した。 一般的にはアタワルパはワスカルに勝利した後、1532年に即位したとされているが、以上の経緯により即位の事実があったかどうかに異論も出されている。 スペインの征服の後も、インカ帝国の統治体制が消滅するまでの間、数人のサパ・インカが存在している。 スペイン人の傀儡として4代のサパ・インカがいる。 トゥパック・ワルパ(Tupaq wallpa、英: Tupac Huallpa、在位1533年) マンコ・インカ・ユパンキ(Manqu Inka Yupanki、英: Manco Inca Yupanqui、在位1533年-1536年):逃亡して亡命政権を開く。 パウリュ・トゥパック・ユパンキ(Pawllu Tupaq Yupanki、英: Pawllu Tupac Yupanqui、在位1537年-1549年) カルロス・パウリュ・インカ(Carlos Pawllu Inka、英: Charles Pawllu Inca、在位1549年-1572年)
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