ストックカー経歴
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「パトリック・カーペンティア」の記事における「ストックカー経歴」の解説
カーペンティアは2006年、カユーガ・スピードウェイでのCASCARスーパーシリーズのイベントに参戦した。デイヴ・ジェイコブス・レーシングから参戦、21位でスタートし6位に入賞した。2007年はグランダム・シリーズにサマックス・モータースポーツからミルカ・デュノーのチームメイトとして参戦した。その後NASCARに参戦するためサマックスを離れた。 カーペンティアは2007年8月4日、ジル・ヴィルヌーヴ・サーキットでNASCARブッシュ・シリーズへのデビューを果たした。ポールポジションを獲得した彼はレースを2位で終えた。NASCARネクステル・カップへのデビューは2007年8月12日のワトキンス・グレンで、ジレット・エバーナム・モータースポーツの10番車のダッジで、スコット・リグスに代わって40位からスタートした。レースの中盤では7ラップに渡ってトップを走行し、最終的に20位でフィニッシュした。2007年10月に、翌2008年シーズンは10番車をドライブしてフル参戦することが発表された。 2008年2月14日、カーペンティアは2008年のディトナ500でのゲータレード・デュエルで予選通過にトライした。彼は1日の大半をトップ10で走行した。レースの終盤で右フロントタイヤがバーストし、バックストレッチウォールに衝突する。結局は予選落ちすることとなった。 2008年6月27日、ニューハンプシャー・モーター・スピードウェイでのレノックス・インダストリアル・ツールズ301でカーペンティアはスプリントカップ・シリーズでの初のポールポジションを獲得した。このポールポジションはNASCARのトップカテゴリーにおける外国出身ドライバーが獲得したポールとしては、1953年6月のラングホーン・スピードウェイにおけるロイド・ショー(トロント出身)以来の物であった。 2008年7月5日、コークゼロ400においてカーペンティアは14位でフィニッシュ、彼のベストキャリアであった。 2008年8月30日、カーペンティアはジレット・エバーナム・モータースポーツを離れ、2009年シーズンの所属は未定であることを発表した。その4日前にチームはカーペンティアの将来が不確定であるとして、翌シーズンはリード・ソレンソンを起用することを発表していた。10月7日にカーペンティアはチームを離れた。 2009年6月9日、マイケル・ウォルトリップ・レーシングは2009年の二つのイベント、6月21日のインフィニオンおよび8月9日のワトキンス・グレンで、マイケル・ウォルトリップに代わって55番車をカーペンティアがドライブすると発表した。その後、彼はトミー・ボールドウィン・レーシングでマイク・スキナーがトラックシリーズに出場するため欠場となるイベントで代役としてドライブした。 2010年、カーペンティアはラティチュード43モータースポーツから数戦に参加した。2011年はオープンホイールに復帰し、2011年のインディ500にドラゴン・レーシングから参戦、スコット・スピードがバンプ・デイで予選通過できなかった後に予選に出場したが、通過することはできなかった。ストックカーでは、フランク・ストッダードのチームからスプリントカップの数戦に参加した。6月7日、カーペンティアはトロント・サン紙でジル・ヴィルヌーヴ・サーキットで行われるNAPAオートパーツ200をもって引退することを発表した。同レースにはパストラナ・ウォルトリップ・レーシングから参戦した。
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