スタッフ兼エキストラから専業俳優へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:20 UTC 版)
「田中要次」の記事における「スタッフ兼エキストラから専業俳優へ」の解説
1991年、照明技師の安河内央之に師事し、竹中直人が監督する『無能の人』の照明助手として参加。竹中の目に留まった田中は同作品にエキストラとして出演。同年の舞台『竹中直人の会 / 鉢植を持つ男』に舞台監督助手を兼ねて、神戸浩の代役としても参加した。その後も職種を問わず、俳優だけでなく撮影スタッフとしても照明助手の他に録音助手、ドライバー、付き人なども経験しながら、数多くの映像製作に携わった。 1994年、竹中直人が監督した『119』で、照明機材トラックの運転中に事故を起こした事をきっかけに、スタッフ業から退き、俳優に専念するようになる。ちなみに、照明助手を一定期間経験したのちに俳優に転じ売れっ子となった先例としては大木実が存在する。 1994年から1998年まではバイク便ライダーをやりながら生計を繋いでいた。 2001年、TVドラマ『HERO』にバーテンダー役でレギュラー出演した際の台詞「あるよっ」が話題となって人気を博し、これをきっかけにバラエティにも進出した。 2003年、オムニバス映画『刑事まつり 一発大逆転』で短篇「窯岡刑事 / Coming Out Cop KAMAOKA」の監督を果たし、以降も『奪われた刑事 / Snatches』 (2004) など、短編作品を撮り続けている。 2015年、短編映画『ドラムマンz バチがもたらす予期せぬ出来事』の監督を務める。 2017年、映画『蠱毒 ミートボールマシン』で映画初主演。
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