スコータイ時代・アユタヤ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:02 UTC 版)
「タイ王国の便所」の記事における「スコータイ時代・アユタヤ時代」の解説
便所の使用に関連する証拠としては、スコータイ時代から人々は排便を処理する方法を確立しており、歴史的な証拠として便器(おまる)の存在が認められている。「スコータイ式便器」と呼ばれている。この便器は石製で、尿を受ける溝と中央に便を落とす穴が開いている。臭気がひどくならないようにするために尿と便はそれぞれに分けて回収された。 特に王や豪族といった地位の高い人々が特権的に住居の中に便所を建設するようになり、次第にタイの便所が発展していった。平民は部屋を均一に仕切っており、おそらくは便所を設置していなかったと見られる。さらに便所に関しては特別な呼称があり、ティ・ロン・バンカン(ที่ลงบังคน)もしくはホーン・バンコン(ห้องบังคน)と呼ばれた。特に王族の便をバンコンといい、王族は排便の際には容器の中に排泄し、その従者が廃棄する。この便を捨てる場所のことをサターン・ティ・コーン・スワム(สถานที่ของส้วม)もしくはサターン・ティ・プラバンコン(สถานที่ลงพระบังคน)といい、便所はにおいを防ぐために宮殿から離れた場所に建設された。 ナーラーイ王治世のフランス外交官シモン・ド・ラ・ルベールによる1688年の記録に以下のような便所の記述がある。 サヤーム王国において、栄誉ある責務のひとつと考えられていることに国王陛下の便壷の処理の役目を拝命することがある。便壷の中の便は取り決められた場所で廃棄され、その場所には誰も入ってこないように衛兵によって厳重に警備されている。これは魔術に関わっており、サヤームの人々は肉体から生じる排泄物を呪物として用いることができると考えているためである。 僧集団である僧伽に関してもすでに律によって便所の設置が取り決められており、ウェート(เวจ)もしくはウェート・クティー(เวจกุฎี)と言われる。この便所はレンガや石で作られ、さらに崩れないように補強材として木材が使われていた。便器の中央には便を落とす穴があり、さらに石、レンガや木の板で作られた蓋がある。便所によっては、四方を壁に囲まれた小部屋の形をとっていた。 さらに一般的な平民は、排泄をすることを「野良へ行く」(ไปทุ่ง:パイ・トゥン)、「渡し場へ行く」(ไปท่า:パイ・ター)、「森へ行く」(ไปป่า:パイ・パー)と表現した。このことから平民は一般的に個人の民家の中に排泄のための特別な施設を持っていなかったことがわかるだろう。平民は野辺、森、川辺、森のなかで排泄をしたのである。森の近くの村では便意を催すと森に入り、排泄のために適切な場所を探した。平野の村では、村の田畑の中にある林や茂みを排便の場所に選ばねばならなかったのであるが、排便の邪魔をしないように木の棒を持って豚を追い払いながら排便をした。水辺の近くにある村では、渡し場や川辺で排泄をして、排泄後水に流した。
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