シモン・ド・ラ・ルベールとは? わかりやすく解説

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シモン・ド・ラ・ルベール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 08:36 UTC 版)

シモン・ド・ラ・ルベール

シモン・ド・ラ・ルベール(Simon de la Loubère、1642年1729年)は17世紀フランス外交官。歴史書『シャム王国誌』を書いた。

トゥールーズの出身、若くしてラテン語に通じていたという。成人してからパリに上京し、1672年にフランスのスイス大使館の書記官となり、才能を認められた。

1682年フランス東インド会社のクロード・セブレ・ドュ・ブレやギー・タシャールなどの宣教師、フランス軍を引き連れ、タイアユタヤ王朝からやって来た高官・チャオプラヤー・コーサーパーンらと一緒にタイに渡った。その目的は東南アジアでのオランダイギリスに対する貿易上の優位確立や、タイの植民地化へ向けてカトリックを普及させること等であった。

その後99日間アユタヤ王朝の都アユタヤーにとどまり、プーケット島の採掘権、メルギ島の割譲を含む条約を締結した。


前任
フランソワ・タルマン・レネ
アカデミー・フランセーズ
席次16

第4代:1693年 - 1729年
後任
クロード・サリエ





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