スウェーデンの独立を巡る内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 19:44 UTC 版)
「ストックホルムの血浴」の記事における「スウェーデンの独立を巡る内戦」の解説
事の発端となったのは、当時カルマル同盟を築き、北欧全土を勢力下に置いていたデンマーク王国に対するスウェーデン人の反乱であった。スウェーデンの独立を巡る内戦は、1435年頃から始まり、デンマーク側は反乱を何度と無く鎮圧していたが、スウェーデン人の独立の意志は強く、摂政のストゥーレ家(英語版)を中心に執拗にデンマークの支配に抵抗していた。1518年にはスウェーデン内のカルマル同盟維持派であるウプサラ大司教(英語版)グスタフ・トーレ(英語版)とその支持者らが独立派に敗北し、デンマークに追放された。クリスチャン2世は反乱を鎮圧するべく同年中に兵を率いてスウェーデンに進軍したがストックホルム付近でストゥーレの軍に敗北、スウェーデンを支配下に取り戻す事に失敗した。 しかしクリスチャン2世の意志は固く、1520年に大量のフランス人、ドイツ人、それにスコットランド人の傭兵を雇い入れて再度スウェーデンに侵攻した。この戦いで、独立派の指導者であった摂政、小ステン・ストゥーレ(英語版)が重傷を負い死亡、指導者を失った反乱軍は混乱した。デーン軍が首都に迫ってくるのを見たスウェーデンのリクスダーゲン(帝国議会)はクリスチャン2世がスウェーデンの法律に沿ってスウェーデンを統治し、反乱に参加した者達の罪を問わないのであれば彼をスウェーデンの王として認める事を決定しその旨通達した。しかしストゥーレの未亡人であるクリスティーナ・ギレンスティアーナ(英語版)はストックホルムで抵抗を続け、3月19日の戦闘ではスウェーデン軍相手に勝利を収めたものの多勢に無勢だった事もあり大勢を覆すには至らず、反乱罪で処断しない事を条件に9月7日に降伏した。11月1日にはスウェーデンの代表らがクリスチャン2世をスウェーデン王として認め、忠誠を誓った。
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