スウェーデンの支配者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 12:59 UTC 版)
「グスタフ・アドルフ・ロイターホルム」の記事における「スウェーデンの支配者」の解説
ロイターホルムはグスタフ3世暗殺時には国外にいたが、14歳で即位したグスタフ4世アドルフの摂政にカールが立てられると直ちに呼び戻され、1793年に枢密院のメンバーとなった。当初、報道を自由化するなど自由主義的な体制を採るような姿勢を見せたが、実際にはそれをグスタフ3世の築いた政治体制を覆すためにのみ利用し、グスタフ・マウリッツ・アルムフェルトやヨハン・クリストファー・トールなどといった強硬なグスタフ3世派を弾圧した。グスタフ党の反発は、1794年のアルムフェルトの陰謀として露わになった。 摂政政府の終焉が見えてくると、ロイターホルムはエカチェリーナ2世の孫娘アレクサンドラ・パヴロヴナをグスタフ4世と結婚させ、ロシアと同盟を結ぶことに傾倒した。これはアレクサンドラ・パヴロヴナが正教から改宗しないことを嫌気したグスタフ4世が婚約を拒否したことから頓挫した。一方、国内ではロイターホルムがフランス共和国またはアメリカ合衆国の憲法に関連するものを印刷するすべての印刷業者は特権を失うと脅したことに反発する小規模な暴動が起き、これを警戒したロイターホルムは政府の超反動的姿勢を和らげざるを得なかった。1795年3月には、スウェーデン・アカデミーの就任演説でA・G・シルヴァーシュトルプが1789年のクーデターを認めないと述べたことから、スウェーデン・アカデミーを閉鎖させている。 1796年にはスウェーデン王立科学アカデミー会員に選出された。
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