ジョージ・ギブズ(初代ラクソール男爵)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 06:47 UTC 版)
「ラクソール男爵」の記事における「ジョージ・ギブズ(初代ラクソール男爵)」の解説
初代ラクソール男爵ジョージ・エイブラハム・ギブズ(英: George Abraham Gibbs, 1st Baron Wraxall, PC、1873年7月6日 - 1931年10月28日)は、英国・保守党の政治家である。 イートン・カレッジを経てオックスフォード大学のクライスト・チャーチに進んだジョージは、アントニー・ギブズ少佐(英: Major Antony Gibbs)とジャネット・ルイーザ・メリヴェイル(英: Janet Louisa Merivale)の間に生まれた7人きょうだいで1番上の息子だった。母方の祖父はジョン・ルイス・メリヴェイル(英: John Louis Merivale)である。父方の祖父であるウィリアム・ギブズと、その父(ジョージの曾祖父)アントニー・ギブズは、貿易会社アントニー・ギブズ&サンズ(英語版)の共同設立者、貿易商、銀行家であった。 1906年、ジョージはマイケル・ヒックス・ビーチの後を引き継いでブリストル西選挙区 (Bristol West) 選出の庶民院議員となり、1928年まで同職を勤め上げた。彼は義理の父親で植民地大臣だったウォルター・ロング (初代ロング子爵)(英語版)の議会担当秘書官を務め、1917年から1921年にかけては、デビッド・ロイド・ジョージによる連合内閣で、政府の院内幹事の任に当たった。1921年には王室会計局長官(英語版)に任じられ、アンドルー・ボナー・ロー、スタンリー・ボールドウィン両首相の下で、1924年の中断期を挟み、1928年まで2期の任を果たしている。1923年には枢密院の枢密顧問官に就任した。1928年、王室会計局長官などでの貢献があったことからジョージに対して爵位が与えられ、デヴォン州クリスト・セント・ジョージのラクソール男爵(英: Baron Wraxall, of Clyst St George in the County of Devon)として連合王国貴族の仲間入りを果たした。ジョージはノース・サマセット義勇農騎兵団(英語版) (North Somerset Yeomanry) で大佐として働いたほか、1911年にはサマセットの副統監に就任している。
※この「ジョージ・ギブズ(初代ラクソール男爵)」の解説は、「ラクソール男爵」の解説の一部です。
「ジョージ・ギブズ(初代ラクソール男爵)」を含む「ラクソール男爵」の記事については、「ラクソール男爵」の概要を参照ください。
- ジョージ・ギブズのページへのリンク