ジョン・F・ケネディ中尉の救助
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「コースト・ウォッチャーズ」の記事における「ジョン・F・ケネディ中尉の救助」の解説
1943年8月、アメリカ海軍中尉ジョン・F・ケネディ(後の第35代アメリカ合衆国大統領)と10人の乗員が魚雷艇(PT-109(英語版))の沈没により遭難した。オーストラリアの監視員(アーサー・レジナルド・エヴァンズ中尉)はPT109の爆発を確認した。その時、同艇は日本の駆逐艦(天霧)に衝突されたのである。アメリカ海軍は同艇を完全喪失と判断して乗員の生存可能性もをあきらめてしまったが、エヴァンズは2隻のソロモン諸島原住民による捜索隊を派遣した。その内1艘は、Biuki Gasaという名の男が操るカヌーだった。捜索隊は男達を発見し、ケネディはココナツの実の表面にエヴァンズ宛の伝文を彫りこみ、彼の艇の乗員の窮状と漂流位置を書き込んだ。未来の大統領はこうして救助され、20年後にエヴァンズをホワイトハウスに招待した。Gasaはアメリカ旅行をしなかった。後で主張したところによれば、招待は受けたが、イギリスの植民地当局が出席させないよう妨害したと言う。Gasaは村から出発して、ホニアラに到着したが、式典に間に合うように出立することが出来なかった。 「救出の後に、ケネディは、彼が再び私たちに会うと言いました。」と、Kumanaは『ケネディのPT109の捜索』('The Search for Kennedy's PT-109')で述べている。そして、「彼は大統領になったとき、我々を招待してくれた。しかし、空港に着いた時、我々はある事務員に引き会わされ、我々が出国出来ない旨を告げられた。Biukuと私が英語を全く話せないことが理由だった。私の気持ちはひどく沈んでしまった。」という証言を残している。
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