シラクサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 16:45 UTC 版)
「マルクス・クラウディウス・マルケッルス」の記事における「シラクサ」の解説
紀元前214年より紀元前212年まで足掛け3年ローマを裏切りハンニバル側についたシチリア島のシラクサの攻略も担当し、これを陥落させた。このときシラクサの防衛にはアルキメデスも参加しており、アルキメデス考案の数々の兵器はマルケッルスらローマ軍を大いに苦しめた。シラクサ陥落に際してはマルケッルスはシラクサ市民の殺害を兵士達に禁じ、略奪は財産と奴隷に限り、略奪を最小限に抑えようとした。しかしアルキメデスは一人のローマ兵によって殺された(マルケッルスへの連行を拒否したため激昂した兵士に殺されたとも、高価な製図機器を奪おうとした兵士との諍いで殺されたともいう)。マルケッルスはアルキメデスを殺害した兵を自分の周りから遠ざけたという。 このシラクサ包囲に、カンナエの脱走兵を使う許可を元老院に求めている。アルキメデスに苦しめられた彼は、その知性を迎え入れるため殺さないよう命令していた。しかし兵が入って来たとき、アルキメデスは地面に図を描いて問題を解くことに夢中で、邪魔しないでくれとしか言わなかったため、殺されてしまった。マルケッルスはシラクサ陥落後、城壁の上からその荒れ果てた姿を見て、涙を流したという。凱旋式は旧領の回復では行われない原則があったため、挙行されなかった。 4度目の執政官職の時、シキリアから訴えられたが、同僚執政官マルクス・ウァレリウス・ラエウィヌスの帰還を待ってから裁判を行い、彼らが思う存分不平を言えるように計らってそれが受け入れられたため、シキリア民は自らクリエンテスとなることを申し出たという逸話が残っている。
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シラクサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/14 07:04 UTC 版)
医者。いつも派手なシャツを着て飄々としているが、医者としての腕は確か。皆の良きアドバイザー役となっている。かつてはヘイズガルド軍・諜報部所属でアルクラインと因縁があった。戦闘中に右目を負傷したらしい描写があり、常に髪で隠している。後半には眼帯着用。
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