カンナエ
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ナビゲーションに移動 検索に移動座標: 北緯41度17分47秒 東経16度09分06秒 / 北緯41.29639度 東経16.15167度 カンナエ(ラテン語: Cannae)は、イタリア半島南東部のアプリア地方、アウフィドゥス川(現在のオファント川)沿いに存在していた村、およびその周辺のこと。ラテン語の読みの違いにより「カンナエ」のほかカンネーやカンネの表記もされる。現在のプッリャ州バルレッタのカンネ・デッラ・バッターリア(イタリア語: Canne della Battaglia)にあたる。
第二次ポエニ戦争中の紀元前216年8月2日、ハンニバル率いるカルタゴ軍と、ルキウス・アエミリウス・パウルス、ガイウス・テレンティウス・ウァロ率いるローマ軍が戦った(カンナエの戦い)。この会戦が右岸と左岸のどちらかで戦われたのか、現在でも論争が続いている。歴史上でも稀な包囲殲滅戦が行われた古戦場として名高い。
カンナエ
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紀元前216年8月2日、アプリア地方のカンナエ近郊で両軍は対峙、当日の指揮官であるウァロが決断し、ローマ軍約80,000(うち10,000名が陣地に残留)はカルタゴ軍約50,000に決戦を挑んだ。戦闘序盤でカルタゴ軍左翼の騎兵はローマ軍右翼の騎兵を撃退。続いてローマ軍後方を迂回して反対側の翼へ回り込み、右翼の騎兵とローマ騎兵を挟撃した。ローマ軍中央はカルタゴ軍中央に猛攻撃を加えていたが、戦闘前にハンニバルが弓なりに歩兵戦列を配置していたため、徐々に押し込まれながらも持ちこたえていた。カルタゴ軍歩兵戦列の両翼に配された古参のアフリカ人傭兵は互角の戦いを繰り広げており、ローマ軍中央はV字になりつつあった。そこへローマ騎兵を撃退したカルタゴ騎兵が、歩兵戦列の後方に回り込み、完全な包囲態勢が完成した。恐慌状態に陥ったローマ軍は密集し、中央で圧死が発生、さらに外周から徐々に殺戮され、突破口を開くこともできずに殲滅された。ローマ軍の損害は、死傷60,000名、捕虜10,000名という破滅的なものであり、執政官パウルスと約80名の元老院議員も戦死した。この戦いは、完全包囲を成功させた最初の戦例であり、さらにまた自軍に倍する敵軍を包囲殲滅した稀有な戦例である。ハンニバルの傑出した軍才を証明するものといえるだろう(カンナエの戦い)。
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