カンナエ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 15:56 UTC 版)
「プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌス」の記事における「カンナエ後」の解説
カンナエの戦いでは司令官アエミリウス・パウッルスは野営地に10,000人守備として待機させていた。カンナエでの大敗でカルタゴ軍が目前に迫る中彼らは選択を迫られる。その士官の一人であったトゥディタヌスは生き残りの軍団の撤退の指揮を取ることとなった。 まずトゥディタヌスは皆に盾を持たせ、横並びにして防御網を作り疲弊したカルタゴ兵を強行突破しようと提案、この提案にはほとんどの者が反対、多くの者はハンニバルに降伏して元老院からの賠償金で解放してもらおうと言った。トゥディタヌスは自分に賛同してくれた600人の者とともに圧倒的なカルタゴ勢に突入、驚いたカルタゴ兵たちは突破を許してしまう。この行為が彼の存在を有名にした。 フロンティヌスによれば、トゥディタヌスとグナエウス・オクタウィウスは包囲されると、剣を抜いて突破するよう味方に促し、他についてくる者がいなくとも、自分たちはそう決めたと宣言した。そのとき陣営には歩兵50人と12騎しかいなかったが同調する者がおり、無傷でカヌシウムまでたどり着くことが出来た。 その後、捕虜の身代金を公費でまかなうかどうか議論になったが、執政官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスはトゥディタヌスが突破してきたことを挙げ、「誰に真の勇気があり、誰が臆病であったか、ここに生き証人がいる。捕虜たちに彼のような勇気があれば、今頃捕虜ではなかっただろう。7000人のうち600人だけが彼に従った。彼の言うことを聞いて戦うことをせず、ハンニバルに降伏したのが正しいことだろうか。真に勇気のある男たちは、こうして祖国に帰ってきているのだ。彼らに身代金を払うべきではないだろう。」と主張した。
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