シラキューズ大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 20:39 UTC 版)
ワシントンで活躍する6フィート3インチ(約191センチメートル)185ポンド(約84キログラム)の高校生選手にカレッジバスケの名門校も注目し始めた。中でもUCLA、ミシガン大学がビンを熱心に勧誘したが、バスケットでは弱小のシラキューズ大学もビンの獲得に名乗りを上げた。そしてビンはカレッジフットボールで活躍したアーニー・デービスから刺激を受け、出身校であるシラキューズ大を選択するが、同時に謙虚な彼は自身をまだ選手として未熟と見ており、名門校でプレーすることで埋もれたく無いという思いもあった。 かのアーニー・デービスも排出し、フットボールでは一流校だったシラキューズ大オレンジメンも、バスケットボールは物笑いの種だった。なにしろビンがチーム入りする前年には、泥沼の27連敗を喫するなど、低迷を極めていたのである。そんなシラキューズ大バスケットボールチームにとって、ビンは正に救世主だった。ビンは大学で最初のシーズンである1963-64シーズンに、同校の2年生記録を更新するシーズン通算556得点(平均22.2得点)をあげ、チームを17勝8敗の成績に導き、ナショナル・インヴィテーション・トーナメント(NCAAトーナメントと並ぶ全米規模のトーナメント。通称NIT)にも出場。トーナメントは1回戦でニューヨーク大学に敗退してしまうものの、シラキューズ大にとっては大成功のシーズンとなった。ビンは一躍カレッジバスケ界のスターとなったが、この頃すでに結婚しており、大学を卒業するまでに2人の子供をもうけた。家計を支えるために管理人として働き、オフシーズンの夏には子供たちを対象としたバスケットクリニックを開いた。1964-65シーズンには平均23.2得点12.0リバウンドの成績を記録し、The Sporting News選出のオールアメリカン1stチームに、平均28.4得点(全米ランキング5位、同校新記録)10.8リバウンドを記録した大学最後の1965-66シーズンには、40年の歴史を持つシラキュース大バスケットボールチームにとっては初のオールアメリカに選ばれた。22勝6敗の成績を残したシラキューズ大はNCAAトーナメントにも出場し、東部地区決勝まで進出している。大学3シーズンの成績は平均24.3得点10.3リバウンド(通算1,883得点786リバウンド)、フィールドゴール成功率49パーセントだった。
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