シュレンプか、ヴェルナーか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:03 UTC 版)
「ヘルムート・ヴェルナー」の記事における「シュレンプか、ヴェルナーか」の解説
1995年にダイムラー・ベンツの最高経営責任者であるエツァルト・ロイターが退任することになり、その後継の座をヴェルナーはユルゲン・シュレンプと争った。この会長の椅子を巡る争いや、後のメルセデス・ベンツ社の存立について争う一連の権力闘争は「シュレンプか、ヴェルナーか」(Schrempp oder Werner)と呼ばれて注目を集め、結果、ヴェルナーはシュレンプに敗れた。 ヴェルナーが率いていたメルセデス・ベンツ社はダイムラー・ベンツグループ全体の売上と利益の大部分を稼ぎ出しており、これを警戒したシュレンプは自身が取締役会会長に就任すると、メルセデス・ベンツ社を独立した子会社ではなく、ダイムラー・ベンツの一部門に戻すことを決定した。この決定は(偶然にも)ヴェルナーの60歳の誕生日である1996年9月2日に開催された役員会で下され、同社は翌1997年4月に再統合されることになる。社内の権力闘争に敗れ、自身が率いる「メルセデス・ベンツ社」と権限を失うことになったヴェルナーは1997年1月にダイムラー・ベンツを去った。 在任中のヴェルナーの手腕は社外からも高く評価され、1996年に『ビジネスウィーク』誌はヴェルナーを世界の経営者トップ25の一人に選出した。1993年からフォルクスワーゲンで取締役会会長を務めていたフェルディナント・ピエヒは、ヴェルナーが敗北してシュレンプがダイムラー・ベンツにおける権限を掌握した際に見解を問われて「片目で泣いて、片目で笑っているといったところだ。良いもの(ヴェルナー)が敗れたことについては泣きたくもあり、今後の競争が楽になることについては笑っている」と述べた。
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