シマ社会による過去の人権侵害の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:24 UTC 版)
「シマ社会」の記事における「シマ社会による過去の人権侵害の例」の解説
ハンセン病患者 戦前、沖縄県のハンセン病罹患率は他府県よりも高かったにもかかわらず、沖縄本島には癩療養所(現在の国立ハンセン病療養所)は一か所もなかった。というのもハンセン病患者に対する差別が熾烈を極め、療養所を設置しようとする沖縄県当局やハンセン病患者に対する反癩暴動(嵐山事件)すら起きているからである。1938年(昭和13年)になり、ようやく沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)が設置された。 奄美住民 戦後、奄美群島が沖縄県に先駆けて1953年に本土復帰を果たした際に、所属政体の変更に伴う参政権の喪失や公職追放に止まらず、奄美住民に対する商取引の拒否や民間企業からの締め出しなどの差別が公然と行われた。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。 有能者 内間金丸(後の尚円王)は伊是名島の出身であるが、都の首里に赴いたのは一旗揚げて故郷に錦を飾るためではなかった。彼は両親の死後に農業に携わっていたが、刻苦勉励を重ねて不作知らずの収穫を上げてきた。それを村人が妬み金丸を殺害しようとしたため、間一髪島から脱出したという。そういう経緯から、後に金丸が王位に就き第二尚氏王統が始まった後も、尚家は伊是名島に冷淡で、両親のために伊是名玉陵を設けた以外は特に何もやっていない。
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