ザ・スタイル・カウンシル時代 (1983年 - 1989年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 01:49 UTC 版)
「ポール・ウェラー」の記事における「ザ・スタイル・カウンシル時代 (1983年 - 1989年)」の解説
より「黒さ」を追求するウェラーはネオ・モッズ・バンド「マートン・パーカス」のオルガンプレイヤーであったミック・タルボットとともにポップス/ソウルユニット、ザ・スタイル・カウンシルを結成。1983年3月に1stシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」を発表し、ソウルやR&Bの影響が濃いブラック・コンテンポラリー的なサウンドへのシフトを見せた。硬派なイメージだったジャム時代のファンの期待は裏切ることになったが、今度はよりポップで洒落たイメージで人気を得る。しかしそのイメージとは反対に歌詞は当時のサッチャー体制に対して過激なものを多分に含み、政治批判をより明確に打ち出していった。非常に実験的・前衛的な楽曲が多く、ニュー・ウェイヴのグループとして認識されることも多い。 スタイル・カウンシルは1984年の1stアルバム『カフェ・ブリュ (Café Bleu)』が高い評価をもって迎えられ、1985年には2ndアルバム『アワ・フェイヴァリット・ショップ (Our Favourite Shop)』が全英1位となるなど、新たな地位を確立していく。また当時バブル経済の真っ只中にあった日本でも、時代にマッチした「おしゃれな音楽」として受け入れられ人気を博す。しかしその後あまりに音楽性が多様化しすぎてしまったことなどにより方向性を見失い、徐々に迷走を始める。セールス的にも不振に陥り、1989年にはハウス色の強いアルバム『モダニズム (Modernism-A New Decade)』を製作するも所属していたポリドールからリリースを拒否され、半ば自然消滅という寂しい形で解散となってしまった。 スタイル・カウンシルのメンバーであり盟友であるスティーヴ・ホワイト (ドラム、元オアシスのアラン・ホワイトの実兄) はウェラーのソロ転向後もバックバンドの中心として行動を共にし、現在に至るまで常に欠かせない存在となっている。
※この「ザ・スタイル・カウンシル時代 (1983年 - 1989年)」の解説は、「ポール・ウェラー」の解説の一部です。
「ザ・スタイル・カウンシル時代 (1983年 - 1989年)」を含む「ポール・ウェラー」の記事については、「ポール・ウェラー」の概要を参照ください。
- ザ・スタイル・カウンシル時代のページへのリンク