ザラスシュトラ伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:51 UTC 版)
「ザラスシュトラ」の記事における「ザラスシュトラ伝説」の解説
ゾロアスター教の衰退後、ザラスシュトラへの崇敬はイスラム教徒に引き継がれた。ゾロアスター教の狭義とは別の隠された「光の叡智」を唱えた神秘的な存在として、大いにイスラム教徒たちの間で尊敬された。この虚構のイメージは東ローマ帝国やルネサンス期の西ヨーロッパに伝わった。 ルネサンス期、新プラトン主義者にとっては、ゾロアスターはプラトン主義哲学とキリスト教信仰の源流となる人物であるとされた。さらに2世紀の偽書もゾロアスターの著作とされたことで、「バビロニア占星術の大家、プラトン主義哲学の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」という荒唐無稽なイメージが付与されることとなった。このようにオカルト化されたゾロアスター像は肥大化し、様々な知識の最高の体現者とみなされ、人智学にも影響を与えた。18世紀、パールシーたちの伝えてきた文献がヨーロッパにもたらされたことで、知識人たちはゾロアスターの叡智が垣間見えると期待したが、そこには古代の呪文しか書かれていなかった。これによりザラスシュトラの実像に迫ることができるようになったが、その後もゾロアスター像は変遷を遂げ、フリードリヒ・ニーチェが自著『ツァラトゥストラはこう語った』に自らの思想を仮託したり、ナチスがアーリア民族の偉人として位置づけるなど、様々な立場から利用された。これらの見方は日本人のザラスシュトラに対するイメージに大きな影響を与えている。
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