サー・ヴィクター・サッスーン
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「ピンザ」の記事における「サー・ヴィクター・サッスーン」の解説
ピンザの馬主、第3代ボンベイ准男爵サー・エリス・ヴィクター・エリアス・サッスーン(Sir Ellice Victor Elias Sassoon、1881年 – 1961年)は、アヘン取引や綿花産業、不動産投資で富を築いたユダヤ系財閥サッスーン家の出身で、大戦間の上海で金融、不動産などを支配した大富豪だった。 サッスーンの競馬とのかかわりはインドで始まり、現地の競馬のための競走馬生産を手掛けていた。やがて1924年に父の遺産と爵位を引き継ぎ、翌年には巨額の資金を投じてイギリス本国の競馬にも参入した。1925年のニューマーケットとドンカスターのセールに「彗星のように」現れると、7万ギニー以上を費やして20頭近い馬を買い集めた。同時にニューマーケットのフィッツロイハウス厩舎(Fitzroy House Stables)を取得し、J・H・クロフォード(J. H. Crawford)を専属調教師として充てるとともに、ニューマーケット郊外のバンガロースタッド(Bungalow Stud)を購入して競走馬の生産を開始した。牧場は自身の名前の頭文字から取った愛称により、イヴスタッド(Eve Stud)と改名された。 1925年に購入した1歳馬からはホットナイト Hot Night (GB) が出てダービーとセントレジャーで2着となり、1937年にはエキシビショニスト Exhibitionnist (GB) が1,000ギニーとオークスの二冠馬となった。また1932年の生産馬ミュージアム Museum (GB) は1935年アイルランド最初の三冠馬となり、その半弟フィデア Phidea (GB) も1937年にアイルランドの2,000ギニーとダービーに勝つ活躍をしていた。
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