サラエボ五輪を目指してとは? わかりやすく解説

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サラエボ五輪を目指して

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:05 UTC 版)

伊藤みどり」の記事における「サラエボ五輪を目指して」の解説

1983年11月ヨーロッパ遠征しシニアでの国際デビューを果たす。プラハ国際選手権では5種類3回ジャンプ成功させ、国際大会初優勝した。オランダでのエニア・チャレンジ・カップではヨーロッパ選手権者のカタリナ・ヴィットに次ぐ2位となる。 1984年サラエボオリンピック出場の際、前年7月1日時点13歳伊藤には、年齢制限のため原則として出場資格がなかった。ただし、「オリンピック開催年に世界ジュニア選手権3位以内入れば資格与える」という特例措置があった。1984年世界ジュニア選手権札幌)での3位以内目標にするが、規定コンパルソリーフィギュア13位とほぼ絶望的となる。しかし、ショートプログラム1位、フリースケーティング1位と追い上げ総合3位となった。この結果伊藤出場資格を得ることができた。 しかし、代表最終選考会を兼ねた1984年1月全日本選手権において、規定10位と出遅れショートプログラムでは右足首に痛み感じるなど不調で、2回転アクセル転倒して5位。フリースケーティングで1位と追い上げた加藤雅子に次ぐ総合2位終わった日本女子シングルオリンピックと世界選手権への出場枠は各1名であったため、日本スケート連盟加藤オリンピックへ伊藤世界選手権へ派遣した伊藤は、1984年オタワ世界選手権初め出場し、7位に入賞した

※この「サラエボ五輪を目指して」の解説は、「伊藤みどり」の解説の一部です。
「サラエボ五輪を目指して」を含む「伊藤みどり」の記事については、「伊藤みどり」の概要を参照ください。

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