サダカの例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 07:57 UTC 版)
たとえばある男が戦争に行き、そこで死亡したとする。その妻と子供は大黒柱を失うことになり、税金に基づく社会福祉が充実していないならば生活に困窮する可能性がある。政府レベルの公的な仕組みとしてはザカートがあるが、これだけでは手が回らない可能性もある。そこで近所の人が声を掛け合い、金銭(現代なら紙幣など)を集めて回り、該当家族に直接渡す、などの行動が見られる。 政府による福祉と違い、常に顔を合わせているような間柄同士での互助システムと言える。イスラム共同体にはこういった仕組みがいくつも組み込まれている。 また、商業などで成功した人物が、慈善団体に自由意志でもって喜捨をするのもサダカである。また、さらに富裕な人物は地域共同体に対して学校などの建物をまるごと寄付することも多い。これは西洋や日本でも、学校あるいは集会場・音楽ホールの寄付などで見られる(見られた)行動であるが、これらとサダカはある点において性格を異にする。 (基本的に。……原則から言えば必ず)サダカで寄付された学校などには寄進者の名前が刻まれることはない。それは、サダカが直接富裕者から寄付されるのではなく、観念的には神(アッラー)に寄進され、それを皆が使える状態にしているゆえである。イスラム共同体においては、こういった福祉の資金も神と人との1対1の関係(人→人ではなく、人→神/神→人)のもとに動いている。「困った人のため」という水平的関係(という側面もあるにせよ)ではなく、神との垂直的関係であることは、上記のように困窮している隣人のために募金をつのるとき『神へ』という標語が用いられることからも分かる。
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